たりたの日記
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2017年04月11日(火) 昨日のこと、四ツ谷へ

昨日のこと、夕方から四ツ谷へ。日曜日に続いての遠出だが、この日はどうしても出かけたい理由があった。
英神父の聖書入門講座を受けて、この復活の主日で洗礼を受ける人と、4月30日のミサの中で改宗式を受ける人のための講座が予定されていた。改宗式は私と夫の2人の他にもう1人いらしたのだが、その方がなんと、Facebookでもやり取りのある、Nさんだった。Nさんとは、共通の友人を通して知り合い、私がリードしていた、テゼの祈りの集いに参加して下さったこともある。コンポステーラの巡礼路を歩いてきたばかりだというので、共通の話題もあった。Nさんが、夜の聖書入門講座に参加しているという話しは聞いていたものの、同じ日に改宗式を受けるとは。不思議な繫がりだ。

講座の後、会に参加されていた10名ほどの方々と一緒に夕食へ。こうした、集まりも初めてのこと。私たちにとっては、初めてお会いする方々ばかりだったが、打ち解けた感じがあり、文学の話しで盛り上がり、かなり楽しかった。20代からプロテスタント教会に行っていて、なぜカトリックへ改宗するのかという質問があったが、私にとって、故郷の教会を離れてからは、転居などに伴い、いろいろ教会を変わりながらも、納得できる教会に出会えないまま、ここまで来てしまった。一方で、カトリック作家の高橋たか子の著書を通して、カトリック的な信仰に憧憬を持ち、黙想やグレゴリオ聖歌などを通して、カトリック教会と関わるようになり、病気をした時、自分の納得する信仰生活をしたいと思い、改宗を決めたと話した。

高橋たか子は、実はぼくも大好きなんですよと神父。これまでに、高橋たか子が好きだという人にはあまり会ったことがない。文学ゼミで、高橋氏の「ロンリー ウーマン」を取り上げた時も、私はかなり気合を入れて、論文など書いたりしたが、彼女の作品は不評で、よい印象を持った人はあまりいなかった。それだから、この神父の発言は嬉しいかった。その話をきっかけに文学論に話しが開いていき、時間を忘れてしまうほどだった。
出会いがあり、繫がりがあり、点と点とが繋がっていくのを感じていた。

高橋たか子の本を再読する時間はあるだろうか。夢中で貪り読み、手紙まで書いた熱狂的な読者だったが、今ならまた、違った味わい方ができるかもしれない。買っていてまだ読まずにいた 「墓の話」から読んでみようか。








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