たりたの日記
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この日、主イエスのエルサレム入場を記念する、枝の主日。聖週間の始まりの日。
治療が始まってから2週間目くらいまでは白血球の数値が下がるというので、外出は避けていたが、この日は朝、7時過ぎに家を出て、東久留米の聖グレゴリオの家の「枝の主日のミサ」へ。9時半からの聖歌隊の練習に参加させていただき、ミサで歌われるグレゴリオ聖歌を予習。いつもなら、春の日差しの中、戸外で祝別された 棕櫚の葉を手に行列をするところ生憎の小雨、ロビーで棕櫚の葉をいただき、聖堂へ。
今日のミサは文学ゼミの友人のKさんと一緒に与る。Kさんと以前、ここを訪ねたことがある。Kさんはその建築物に心を寄せ、NYのクロイスターの印象と共に美しいエッセイにまとめていたが、ミサへの参加は初めてのこと。その美しい聖堂でどのような典礼がなされるのか、一度Kさんにも体験していただきたいと前から思っていたので、この機会はうれしかった。
ミサの後、ハラハラと風に舞う桜の花びらの下、雑木林の中の小径を通って駅へ。インドカレーのお店でゆっくりランチ。ゼミにもしばらく顔を出していないから、Kさんとお会いするのもずいぶん久しぶりの事。いろいろ報告。治療開始のことも。5月のゼミは大阪行きと重なりまた欠席だが、6月にはぜひ参加したいところ。
Kさんとお別れし、再び、聖グレゴリオの家へ。3時からの「グレゴリオ聖歌入門講座」に出席。この日の受講生は、来月イグナチオ教会での改宗式で、代母をしてくださることになっているMさんと私の二人。現在歌われることが許されている4つのSequentia(続唱)について学ぶ。復活の続唱、聖霊の続唱、聖体の続唱、続唱・悲しみの聖母の4曲。 復活の続唱、Victimae paschali ludes は 讃美歌第2編の91番に「われらのすぎこし」として載せられているもので、以前から好きだった讃美歌だ。この歌の原曲ををネウマ譜で歌うことに深い感慨と喜びを覚えた。
講座の後、Mさんとしばらくお茶をしながら、来週からのエルサレム巡礼の旅(彼女はすでにこの1月に参加している)のことや、改宗式のことなどについて話をする。 帰りはジムへ立ち寄り、温泉へ。待ち合わせしていた夫とリンガーハットで夕食にし、9時過ぎ帰宅。
玄関には驚くばかりの贈り物が届いていた。この事は翌日の日記に。
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讃美歌第2編91番「われらのすぎこし」
われらのすぎこし、 主はほふられぬ。 世の罪を負い、 こひつじなる主は み父にとりなしたもう。 はげしきいくさを 死とたたかいて、 いのちの主は勝ちたもう。 語れ、マリヤ、 汝(な)が見しままを。 「むなしきみ墓と 生ける主をわれは見たり。 布のみ残りて さかえはみちぬ。 望みなる主イエス ガリラヤにゆきたもう」。 主はげに死に勝ちて 世をすべたもう。 主よ、あわれみたまえや。 アーメン
http://hosanna.romaaeterna.jp/hymn/sambika/sam2_091.html
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