たりたの日記
DiaryINDEX|past|will
2008年04月18日(金) |
羊のために命を捨てる |
わたしは良い羊飼いである。 わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。
( ヨハネによる福音書10章14〜15 )
愛とは何か、まず、その人を知るということ。ほんとうの意味で。 愛された者はまた、その人から深く知られるということ。 知ること、知られることの間に生れる強い絆、それが愛。 イエスと羊であるわたしたちの間の、イエスと父なる神の間の、そして、わたしたち、人間どうしの、愛。
そしてイエスは言う。 きっぱりと言い切る。 羊のために命を捨てると。 そして、そのようにして、羊のために命を捨てた。
愛とはこういうもの、自分の命さえも、 超えるところに起きるできごと。 そこには必ずや神が介在する。
明後日の教会学校のテキスト、ヨハネによる福音書10章7〜18節を読んだ。 ここから子ども達への話を組み立てるのだが、その前に、今までにないほどに「羊のために命を捨てる」という言葉が強烈に内側に入ってきた。 愛がどういうものであるか、イエスは自らの命をかけてそれを示したということにはっとする。 そのように知られ、愛されているわたしとは、いったい何者だというのだろうか。
|