たりたの日記
DiaryINDEX|past|will
困った。 しばらく鳴りを ひそめていた、13歳のわたしが昨日からわたしのまん中に居座っている。彼女はしゃべりたくてしかたないようだ。 理由は分っている。Kさんが「英語で読む百人一首」を中学一年生の国語の授業に用いて下さり、その実践記録と、生徒の感想を読んだからだった。
生徒のそれぞれの感想はわたしの予想をはるかに超えて、和歌へまた英詞や訳詩へ接近したものだった。 感想を通して、その生徒達の内面さえ見えた。 何とやわらかく、みずみずしい心の動きだろう。 わたしははじめ、それを教師の眼で見て、この感想を引き出した授業は素晴らしい。こんな感想が生まれてくるような仕事ができるのは何と心躍る事だろうと、とKさんの仕事をうらやんだのだが、いつの間にか、生徒の感想が、そこに顕れた13歳の心が、13歳のわたしの心に反応しはじめた。
わたしが13歳の時にも、ここにいる中学生のように、百人一首の愛の歌を驚きを持って受け止め、味わい、対話した。けれども、その時はそれを分かち合う友もなく、教師もなく、それゆえ、言葉にすら表す事なく、ひとりの胸のうちに閉じ込めていた。 13歳のわたしは、今、それを分かち合う友や教師を見つけたとばかり、自分の言葉を捜して、しきりにしゃべりたがっている。
そう、いつかわたしの13歳をきちんとストーリーの中で生かしてあげなければ、いつの頃からそんな事を思いつつ、まだ彼女との約束を果たしていない。もしかすると、これが良いきっかけになるかもしれない。 取りあえず、仕舞い込んであった、4年前に書いた文章を見つけ出してきた。
ここに、記念すべき、Kさんの授業記録「言霊流転」と、わたしが13歳のわたしについて書いた「ティーンエイジ」という文章を載せて置くことから始めよう。 大人になる事で手放していくものがある。そうしなければ大人には成れない。手放せないものをたくさん抱えているわたしは、だからどこかで大人になれないのかもしれないが。 手放していようが、頑なに持ち続けていようが、誰もが13歳という季節を通ってきた。そこにある「特別なもの」を見つめてみたい気がする。
< 言霊流転(ことだまるてん) > 2008年2月21日 Kさんの日記
たりたくみ とのコラボ、『海を越えた百人一首』の授業のまとめ。
まじめで長い実践記録です。悪しからず。
和歌 筑波嶺の 峰より落つる男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる (通釈:筑波山の頂から流れ落ちるみなの川の、泥水が積もった深い淵のように、私の恋心も積もり積もって、淵のように深くなってしまった)
英詩(William N. Porter 訳) The Mina stream comes tumbling down From Mount Tukuba's height; Strong as my love, It leaps into A pool as black as night With overwhelming might.
訳詩(たりたくみ 訳) みなの流れは踊りながら落ちてゆく 筑波山の高みより わたしの愛のように強く、それは積りゆく 夜のように黒い淵へと このうえなく強い力で
★上記三種を比較した生徒の感想 ●「和歌→英詩→訳詩と姿を変えることで、百人一首の深みが増すと思いました。『わたしの愛のように強く』や、『夜のように黒い淵へ』という部分は、和歌にはない良い例えで、より深い意味をとらえていると思いました」 ●「和歌は、自分が想う恋の心が、どんどん大きくなっていく、みたいなのかと思いました。ストレートに言っている感じかなと思います。 訳詩は、かっこいいです。和歌に全くない言葉がうまくはまっていていいな、と思います。 英詩で好きな部分は、『A pool as black as night』です! 『With overwhelming might.』というのも迫力があっていいと思います」
★恋 と 愛 ●「恋は、相手の人に恋をした とか一人だけで、愛は、相手と自分の間にできた心のつながりっていうかそんな気がしました」 ●「恋は、やわらかい感じでさわやかだけど、愛になると、ドロドロした濃い感じになる」 ●「和歌では強いイメージは感じられないが、英詩を読むと、恋の力は抑えきれないほどの力強さを感じます。どんなに逃げようとしても逃げ切れない強い力で、何も見えない真っ暗な恋の淵に落ちていく と、強く、深く感じられた」 ●「英詩からは、すごく優しさを感じる。けれど、一人の人を愛する力は私が一番強い という感情や情熱も同時に感じられた」 ●「和歌では、軽いイメージがあるけど、英詩は、とても強い恋心で、何が何でもその人を勝ち取り、ライバルが出たら素速く潰しにかかるようなイメージを感じました」 ●「(英詩は)あの人のことが本当に頭から離れないくらい好きになってしまった。どうすればいいんだ と、あとから後悔したように聞こえます」
★なぜ、新たな言葉や意味が付け加わってくるのか という疑問と考察 ●「いったいどこに『踊る』が隠れていたのかが気になった。まだ他にも隠れ言葉があるんだ と思った」 ●「英訳すると、もともとない言葉が何故出てきてしまうのでしょうか。私はそれが気持ち悪いです。もともとの百人一首の方が、リズミカルだし、分かりやすい気がします」 ●「和歌には書いていない言葉も、訳詩には書かれているので、より意味を分かりやすくするために書いたのかと思った」 ●「これは、和歌を英語にした人が、和歌から感じ取ったことを英詩に付け足しているからだと思う」 ●「英訳詩は、一種の解説になっている。英詩は、色々な言葉を付け加えて、想像しやすくしていると思った」 ●「こもった感じの和歌とは反対に、英詩はもっと単刀直入というのか情熱的というのか、個人的には和歌の方が好きです。日本人は淡い桃色の桜を好みますが、アメリカ人は濃いピンクの桜が好きというように、文化や生活の違いで和歌と訳詩の様子が変化するのだと思います」
※大塚評:「筑波嶺」の和歌と英詩及び訳詩については、 和歌→川の淵のように 私の恋心も深まる……自然優位(東洋) 英詩→私の愛のように 強く積み重なり深まる淵…自己優位(西洋) の対比が鮮烈だった。
『海を越えた百人一首』の試み全体に関しては、「器としての言語」(意味や思いを水のように汲み取って国境を越えて運ぶ、容器としての言葉)という、国語の時間の中だけでは絶対に出会えなかったテーマを扱うことができたことに、特に意義を感じる。 テキスト提供者、たりたくみ さんも「まるっきり異なる言語でありながら、その言語が汲む水は共通しているという事。どの国の人間も共通して持っているその『水』の存在に気づく時、大きな感動を覚えます」というコメントを寄せてくださっている。 奈良時代の和歌。明治時代の英訳詩。そして平成の口語詩。
時間と空間を越える試みは、まだ続く。
< ティーンエイジ >
わたしは13歳になった時のこと、 ティーンエイジという輝かしくも、 青くて苦い果実のようなその時期に突入した時のことを 今でも鮮明に覚えている。
4月生まれで、おまけに早熟だったわたしは、 小学校の高学年ともなれば、同級生の男子などおよそ眼中になく、 毎朝、中学校へ続く坂道ですれ違う学生服の男の子達に胸をときめかせていた。 そして、休み時間には3階の教室から、 向こうの丘の上の中学校を眺めては溜め息をつくのだった。
時間はじれったいほどゆっくり進んだものの、 ようやく春は巡ってきて、わたしは13歳を迎えた。 セーラー服に身を包み、紺色の学生鞄を下げて、中学校への坂を登る日は、 あまりの歓喜に眩暈がするほどだった。
実際、中学校は何もかも大人びて見えたし、 少女漫画の世界よりもわくわくした。 極め付けは3年生の男子達。 放課後になるのを待って、仲間と先輩ウォッチングに繰り出した。
校庭では男子バレー部。 前列でかっこよくアタックを決めているのは、生徒会長のT先輩。 朝礼の時には、全校生徒800名に向かって、 表彰台からマイク片手に演説するT先輩は、校長先生より偉く見えた。
体育館では剣道部の威勢のいい気合が響いている。 剣道部キャプテンのH先輩は、 白いきりりとひきしまった顔に黒ブチの眼鏡をかけ、 剃刀の刃を連想させるような鋭さと危なさをはらんでいて、 廊下ですれ違う時など、思わず身が竦んだ。
T先輩やH先輩に加え、 しばしば女の子達のうわさに上るのは文学少年の誉れ高いS先輩だった。 職員室前の掲示板には貼り出されているいくつかの作品の中で S先輩の詩は確かに次元が違っていた。
「 ああ、ウエルテル なぜ報われぬ恋を・・・」で始まるその詩は、 S先輩がウエルテルに捧げたものらしいが、 わたしはS先輩こそが恋に悩むウエルテルのように錯覚した。 13歳の少女はその少年の言葉に恋したのかもしれなかった。 突然のように言葉に目覚め、読書に情熱を燃やし、 また詩や文章を綴り始めたのはその時だったから。
少年とは廊下ですれ違いざまに目が合うことがあった。 いつだったか何かに引かれるような感じがして後ろを振り返ると、 まっすぐに射るような眼差しがそこにあって、はっとした。
T先輩もH先輩もS先輩も中学校を卒業すると、 市内の高校へ通うためにその町を離れていった。 再び巡ってきた中2の春、 きらびやかな先輩達がいなくなった学校は嘘のように精彩を欠き、 日常はまた退屈になっていった。
それからしばらくして夏が始まったばかりのある日、 一通の暑中見舞の葉書が届いた。 美しい文字で書かれたその葉書には水彩で書かれた風鈴の絵が添えられていた。 それは3月に卒業していったS先輩からの葉書で、 そこには下宿先の住所が書かれてあった。 葉書を手にした瞬間、きりきりと胸の辺りが刺しこむように痛んだ。 息をするのも苦しかったほど。
返事を出した。 葉書に、きっと水彩で絵も描いたのだろう。 少年からは手紙が届き、また返事を書いた。 手渡された手作りの詩集、詩はどれにもわたしがいた。 翼のある白い天使だったり、山道に咲いているスミレだったりして。
そういうつもりはなかったけれど、 わたしは次第に、少年の言葉に閉じ込められていったのだろう…
やりとりするのは手紙だけで、 たまに約束の場所で会ってみても、ぎこちなく、話しは少しも進まなかった。 それでも時は過ぎてゆく。 数学の問題を解き、新聞部と放送部の仕事をし、 ギターの弾き語りをする日常の一方で、手紙が来ないことを嘆き、 少年の変化に戸惑っていた。 それなのに、いえ、それだからこそ、 わたしは少年へと、さらに閉じ込められていった。 それは出口を求めていながらどうしても辿りつけない迷路のようで、 わたしは何を求め、どこがゴールなのかも分からなくなっていた。
17歳の秋、遠くの大学へ行った少年から別れの手紙が届いた。
「あなたは囚われている。もとの自由なあなたに戻るといい。」
その夏、5年たったら結婚しようと、少年はわたしに言い、 わたしはその言葉に頷いたのに――
しかし少年の言葉に頷きながら、 こういう別れがすぐそこに控えていることを、わたしの無意識は知っていた。 もしかすると、わたしが長い間待っていたのは、結婚などではなく、 別れの言葉だったのかもしれない。 その日、わたしは手紙の束に火をつけた。
手紙を燃やすわたしを裏の家のおじさんとおばさんが見ていて、 おじさんが「火事になるよ。」と言うと、 おばさんはひじでおじさんを突いた。 なんとも滑稽な図であることは自分でも分かっている。 でもこの際、手紙くらいは焼かせてほしい。 わたしは無礼にもおじさんたちを無視した。
さて、手紙がすっかり燃えてしまった時、 どうやら静かな炎が燃え始めたらしい。 それは闘いの色をしていた。 誰に対して闘いを挑んだのだろう。 少年に? むしろ、わたし自身に。 さんざん閉じ込められ、囚われていたわたし自身に対して。 実際、わたしはひとしきり泣いた後、ものすごい勢いで食べた。 戦闘開始…
長い間、わたしは失ったことの痛みばかりを思ってきたが、 今になって、そうではないことに気づく。 むしろわたしは失っていたものを取り戻したのだ。 何よりわたしがそれを望み、そのことが叶ったのだった。 それがあまりの心の深いところでなされていたので、 分かるのにこんなに時間がかかってしまった。
闘いの色をした炎、 それは案外、わたしの足取りを強め、 わたしを前へと進ませてきたのかもしれない。
「大人になったら会いましょう」 少年の手紙はそう結ばれていた。
19歳の少年も、17歳の少女も、その約束を果たさないまま、 もうすっかりいい歳になってしまった。 今、ここに来て、ようやくその時の少年に会ってもいいような気になっている。
2004年06月25日 たりたくみ
初出「心太日記」
|