たりたの日記
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ミクシーのコミュニティーには54入っている。積極的に読んだり、書き込んだりしているかと言えば、そうでもない。その時時の興味と関心に基づいて、取りあえず、そのコミュ二ィティーに入るので、その時のマイブームが過ぎれば、そのコミュへの足も遠のく。このいい加減さ!
二年ほど前、サリンジャーに夢中(良い歳をして)になった事があり、日記にもいろいろ書きまくったが、その時「J.D.サリンジャー」というコミュニティー(メンバー 4242名)に入った。この感動を誰かと共有したいという気持ちから。そこで<あなたは「ライ麦畑・・・のどこにキャッチされましたか?>というトピックを立て、わたしの感想文 を載せた。そのうち、そんなトピックを立てた事も忘れてしまっていたのに、今日、そのコミュでわたしの感想を読んだという若い方からメッセージが届いた。そのメッセージによれば、村上春樹訳で読んだものの、最後の一文以外、心に残るところがなかったが、わたしの感想を読んで、 もう一度読みたくなり、野崎訳を改めて読み初めた。 訳者が違うと新鮮だという事だった。
そうだ、トピックの書き込みをチェックするのを忘れていたとばかりに、そのコミュへ。コメントは65件なっていた。読んでみると、文面から、今まさに、この主人公と同じ、青春真っ只中という人達の感想がほとんどだった。その人が覗いて見えるような、心を開いたままで書いてあるような感想を読んで、若い人達特有のやわらかな感性に触れるような思いだった。
今日、「英語で読む百人一首」を授業で扱ってくださったKさんが、ブログに生徒の感想文をまとめて下さっていたが、そこにはもっと若い、13歳の人達の感想があり、その感性のしなやかさと鋭さにどきどきするものを憶えたのだった。 サリンジャーの魅力とは、このやわらかく、ある意味、痛々しいまでに剥き出しな感性を持つ若い人達が描かれている事だった。もうわたしはその時を過ぎてしまったけれど、それでもわたしの中に今だに、13歳のわたしも17歳のわたしも共存していて、そこに若い人達の魂が反応する。
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