たりたの日記
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アドベントに入るこの週末に函館へ。今回は連れ合いと二人旅。 秋田に日帰りした翌日に、八戸までは同じルートを辿り、そこから先は初めての土地。 年に何回も九州に旅するというのに、今まで北海道には行った事がなかった。 それだけにあこがれの地でもあった。
八戸で「はやて」を「白鳥」に乗り換え、青函トンネルをくぐると車窓には海が広がっていた。 今まで見た事のない海の青。
函館駅に午後1時半頃降り立つと、まずは朝市で海鮮どんぶりのランチ。駅の側のホテルに荷物を置くと、電車で元町方面へ出かけた。 旧イギリス領事館、旧函館区公会堂、ハリストス正教会を訪ねる。
ハリストス正教会は礼拝堂も見学できるので、入ってみると、祭司と思われる人が、観光客の質問に答えて、説話のような事をなさっていた。ロシア正教とギリシャ正教会の十字架(横の線の上と下にそれぞれ短い横線が入っている)や礼拝の形式について訪ねると、楽譜を持ってきて、独特な讃美歌や礼拝について話してくれた。
今ドストエフスキーを読んでいることもあり、ロシア正教の礼拝にはおおいに興味がある。この日は午後5時からミサがあると聞き、またとない機会だから礼拝に出る事にする。 カソリックともプロテスタントの礼拝とも異なる独特の礼拝だった。聴覚だけでなく、嗅覚にも訴える礼拝だった。ちょっと形容し難い、何とも言えず、清らかな香りに包まれていた。礼拝の中で、司祭が鎖のようなものを振り、そこから香が流れ出すのだ。ちょうどお払いのような感じで、信徒席に座っているわたしのも振りかけてくださった。これは清めのしるしなのだろうか。 同じキリスト教の世界でも、わたしの知らない事が数多くあるのだと思いつつ、礼拝を執り行う方がたの声が礼拝堂に響き渡る中に静かに身を置いていた。
< 以下は12月5日のミクシー日記 >
いつの間にか、ハナミズキの葉がすっかり落ちている。
心静かに、夕暮れ時、部屋の隅にともしたろうそくを見つめて過ごしたアドベントがあった。
どうして・・・やんちゃな子ども達がドタンバタンと賑やかな日常だったはずなのに・・・
今は子ども達もいないから、クリスマスツリーさえ出さず、クリスマスは仕事だけでたくさんという気持ちになってしまうのだけれど、 またそんな、静かなアドベントを過ごす時が来ることを 意識の先に感じつつ、忙しく、あわただしい、アドベントの時を過ごす。
この週末の函館は、ただただ日常から離れ、のんびりするつもりだったけれど、12月1日はイルミネーションのライトアップの日、函館の夜は賑やかな光と音と人とで溢れかえっていた。
その喧騒からわずかなところ、坂道を登ったところにある、ハリストス聖教会では夕方礼拝が行われていた。 祈りのチャントが延々と続いてゆく。 この修派は楽器を使わないので、グレゴリアンチャントのように、式を司る人達の声が聖堂に響く。
信徒席にはわたし一人。 抑揚のある祈りの言葉は途切れることなく続き、内側の静けさがずんずん深まっていくような感覚があった。
1時間ほどそこに座っていたが祈りは朝まで続くかに思われた。 待ち合わせの時間が来たのでドアを閉め外に出ると、大きな音と共に空には花火が上がっている。 午後6時、「もうひとつのクリスマス」を祝うための大きなモミの木に光が灯されたのだろう。
二人でほの暗い坂道を下り、イルミネーションの中へと出かけていった。 人混みをのがれ、函館湾に面したところを歩いてみると、遠いイカツリ舟の灯火と黒い海に映った揺れる光が美しかった。
函館の静けさと華やかさはそのままアドベントのひそやかさと賑やかさだった。
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