たりたの日記
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2007年07月11日(水) |
今わたしのいる地点からしか見られない創造の風景を |
仕事などで外に出かける時、バッグの中に入れる本は必需品だが、何を入れて行くかは、出かける直前のインスピレーションに頼るしかない。
ここのところ、なぜか続けてシモーヌ・ヴェイユの「重力と恩寵」を持って出ている。 そして、電車の中ではっとするフレーズに出合った時などには、何かこう、別の世界へ移されるような感覚が起る。 その言葉を読むというのでもなく、味わうというのでもなく、わたしの内がわで鐘が激しく鳴り響く。
「・・・だが神が今わたしのいる地点からしか見られない創造の風景を、ぜひ見たいと思っていることは容易に想像できる。だが、このわたしが邪魔立てしているのだ。わたしは神がこの風景を見ることができるように、引きさがらなければならない。」
シモーヌ・ヴェイユ著「重力と恩寵」 <消え去ること>より
突き動かされるように山へ出かけるのはなぜなのか、神が創造した世界を見るべく、見させられるべく、魂がそこへと誘われるのではないか。
またこの風景は、出会う人や社会もまた指すことだろう。 今日、朗読の勉強会でごいっしょしているKさんと早いランチをごいっしょしながらゆっくりとお会いする時を持つことができたが、その場にもシモーヌ・ヴェイユが言うところの神がごらんになりたい「風景」を想った。
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