たりたの日記
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2007年06月06日(水) ダ・ヴィンチの「受胎告知」を観る



















レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」 を観ようと、久し振りに、上野の東京国立博物館へ出かけた。
平日の午前中だから空いているだろうという考えは甘かった。
この絵が一点だけおかれている第一会場に入るのに、相当な列ができていて、会場に入るまで20分は待たなければならないらしい。

ようやく会場には入れたものの、一枚の絵の前にはすごい人が犇いている。絵を真近で見るために最前列に並んでも、そこで立ち止まる事は許されない。
係りの人がひっきりなしにマイクで叫び続けている。
「前の方の方は立ち止まらずに歩きながらご覧下さい。また後ろの方も、ここは通路になっておりますから止まらないで下さい」

つまり、絵の前を横切る事しか許されていないという訳だ。平日の午前中がこの調子なら週末はいったいどれほどの人がここに押し寄せるにだろう。最前列に並ぶ事はあきらめ、通路だとされる満員電車の中のような場所に3分ほど止まってその絵を眺めた。でも、部屋全体が暗いからか、たくさんの人の背中が前にあるからか、ダ・ヴィンチ「受胎告知」の絵と向き合い、そこからエネルギーを貰うという事はできる話ではなかった。

実は、15年ほど前、この絵をフィレンツェのウフィッツ美術館で見ている。
今思えば、あの時はなんと贅沢な観かたをした事だろう。
広いフロアーには、「受胎告知」と共に「東方の三博士の礼拝」と「キリストの洗礼」が他の聖画と共にさりげなく展示されていた。ボッティチェリの息を呑むような華麗な絵をさんざん観た後に、ダ・ヴィンチの「受胎告知」は渋く重厚な印象だった。そこだけに違う空気の流れを感じた。「あっ」という感覚を覚えている。

今思えば信じられないような事だが、ルーブル美術館では周りに誰もいない「モナ・リザ」の絵の両脇に子ども達を立たせて記念写真を撮り、修復途中の最後の晩餐の絵が置いてある修道院も訪ねた。小学校2年生と4年生の子どもたちを引き連れての家族旅行だったから、こころゆくまで絵と向かい合うという訳にもいかなかったが、それにしてもあれこそは貴重な出合いの連続だった。

今回、絵にしっかり向かい合う事はできなかったものの、第二会場でのこの絵についての説明の映像や、ダ・ヴィンチの科学者としての視点がこの絵にどのような影響を与えているのかといった、ダ・ヴィンチを様々な方面から検証し実像に迫るという展示の主旨はそれなりにおもしろく有意義だった。

それにしてもマリアに受胎を告げる天使ガブリエルは何とも好きだ。マリアを見つめる強い眼差しとマリアに向かって掲げられた二本の指の形、そのうつむく角度。赤い衣の華麗さと、羽の描写の生々しさ。は何とインパクトのある表現だろうか。またそれを受けるマリアの毅然とした表情は凛々しく、これから救世主の母として引き受けるべき運命をしっかり見据えているように見える。真に力強く美しい女性として描かれているのが好ましい。
二人の間の少し隔たった空間にその緊張した空気が漲っているが、その向こうに青く霞んでいるキリストを暗示している山が見えている。その山に目をやれば、そこに向かってすうっと意識が持っていかれるような不思議な感覚が起る。平面に書かれた絵であるのもかかわらず、そこに果てしない奥行きの深さ、はるけさを感じるのだ。

願わくは、もう一度、フィレンツェのウフィッツ美術館を訪れ、何時間でも立ち尽くして観たいと思う。



< 受胎告知>

ルカによる福音書 1章26節〜38節

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」
マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
 


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