たりたの日記
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2007年05月27日(日) |
ペンテコステの礼拝と受洗礼式 |
今日はペンテコステ、聖霊降臨日。 シンボルカラーは赤。 聖餐台のクロス、壁にかけられたバナー、牧師のストール。 真っ赤な芍薬とバラの花が美しかった。 わたしは聖書の朗読の当番で、赤いサマーセーターを着て朗読に臨んだ。
朗読のクラスで長谷川氏から言われる事は、書いているその人の思いを伝える、その人になり変って伝えるということ。 旧約聖書の創世記の物語を読む読み方と、歴史的な事を伝えるナレーションである使徒言行録と、イエスが弟子達に語りかけている福音書とでは読み方も、気分や声のトーンもおのずから違ってくる。 朗読を学ぶ事で、書かれているものの文体や読者との距離といったものに敏感になったような気がする。
礼拝の中でUさんの洗礼式があった。 10年ほど、ひっそりと礼拝に参加しては言葉少なに帰ってゆくという感じで続けて礼拝に参加していた在日韓国人の青年のUさん。 今日はその姿がほんとうに美しくて、実際、Uさんは光に包まれていた。キリスト教に限ることではないが、人がスピリチュアルである時、その人が話していても歌っていても、その人が光に包まれているように見える。 スピリチュアルな礼拝だった。
今日朗読した聖書を記しておこう。
< 創世記 > 11:1−9
世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。
彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。
< 使徒言行録 > 2:1−21
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。 わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、 フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、 ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」
人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。 しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。
すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。 そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。 『神は言われる。終わりの時に、、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、、若者は幻を見、老人は夢を見る。 わたしの僕やはしためにも、、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。 上では、天に不思議な業を、、下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。 主の偉大な輝かしい日が来る前に、、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。 主の名を呼び求める者は皆、救われる。』
< ヨハネによる福音書 > 16:4b−11
「初めからこれらのことを言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである。 今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。
むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。 しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。
その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。 罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、 義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、 また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。
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