たりたの日記
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2007年03月15日(木) |
東北旅日記6<雨の杉林、男鹿のなまはげ館> |
3月5日は、あまり良い天気とは言えなかった。 風は強いものの、冷たいそれではなく、どこか生暖かい、春の風だった。春一番なのだろうか。 しかし、山歩きをするわけでもなく、この日は一日、Sとゆっくり話しができたら、どこへゆかなくてもいいと思っていたから、お天気はまったくどうでも良かった。 けれど、今になって思えば、この日のどんよりした曇り空と、雨、そして風の中で男鹿半島を巡る事ができたのはとても良かったという気がする。そんな天気にふさわしい、そんな場所だったのだ。
Sがまず連れていってくれたところは、男鹿国定公園の中にあるなまはげ館 美しく、すっくりと連立した杉木立に取り囲まれていて、その木々は雨の中でいっそう美しかった。 なまはげについては、こどもの頃、「ふるさとの歌祭り」とかいうテレビ番組があって、そのテーマ曲か何かで、このなまはげの場面が繰り返し流されていたような記憶がある。いずれにしろ、テレビで見たことのある、遠い見知らぬ土地の怖い習慣という印象だった。
なまはげ館ではなまはげの由来や伝承の仕方など知らなかった事を学べておもしろかったが、様々な格好、様々な形をしたユニークななまはげ達が勢ぞろいしているのは圧巻だった。 なまはげたちがおもしろく感じられたのは、ひとつひとつのなまはげが、その地域の人たちから受け継がれ、手作りされて来たものだからだ。素材もざるや木切れ、決して洗練されていないのだが、プリミティブなものが持つ底力があった。
ひとつ、真っ赤でまあるい大きな顔をし、ぎょろりとこちらをににらんでいるなまはげがとりわけ気に入った。 芦沢という地域のなまはげだ。 そこにいた係りの人に、そのなまはげの事を聞くと、このなまはげは昭和34年だかに岡本太郎がなまはげに興味を持って男鹿に訪れたことがあり、このなまはげを評価したということだった。彼によるとこのなまはげがその後の岡本氏の作品に影響を与えた(万博の太陽の塔などに)と言っていたが真価のほどは分からない。 ただそのなまはげがざるで作られた素朴なものであるにもかかわらず、ずいぶんアーティスティックということは言える。
しかし、その文化のなんと豊かなことだろう。 このなまはげにはその地域からその年に選ばれた独身の男性が扮するのだそうだ。なまはげは神のお使いなのだから、まず神社でなまはげとなる儀式が執り行われる。そして、大晦日の夜、なまはげに変身した若者達が、家家に乗り込んで行ってはなまけものはいないかと脅かすのだ。火が付いたように泣く子は、きっとそのなまはげの姿が一生心に残ることだろう。悪くいえばトラウマだが、人間を超えた神というものがある、悪いことをしたり、なまけたりしていればしかられるという感覚はそんな中でしっかり焼き付けられるのだろう。 とても単純な事だが、あなどれない学習効果だと思う。それが地域ぐるみで行われていたということは、地域として、子どもをきちんと育てていかなければという共同の願いがそこにあったのだろう。自分のこどもの事だけしか考えようとしない、今の時代にあっては、このなまはげが担ってきた事は意味深いと思った。
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