たりたの日記
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2007年01月13日(土) |
『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』上映&トークへ |
「すべてのことに時があるという」というのは聖書(伝道の書)の中の言葉だが、わたしはその事を疑わない。
ここのところに来て、それまで点としてあった事柄や出合いが線として繋がり始めている。いったいどこまで繋がり続けるのだろうか。 そしてそこにはどんな「意図」があるのだろうか。 どうやらこの時はわたしにとってひとつのエポックであるようだ。
昨日、西荻ブックマーク実行委員会主催の『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』上映&トークへ出かけた。
文学ゼミの仲間のKさんといっしょに行く。 会場の入り口では、mixi の「尾崎翠」のコミュですでに知っている西荻ブックマーク実行委員会の kimukana さんに初めてお目にかかる。 「たりたさん!」の呼び声に驚くと、会場の入り口で「こほろぎ嬢」のチラシを配っているのはこの映画の脚本を書いた山崎さんと映画監督の浜野さん! このお二人にはこの1週間で3回お会いすることになる。 文学ゼミの掲示板で、この上映会の事をお知らせしていたので、ゼミ仲間のOさんもいらしていた。
2年ほど前に正津勉文学ゼミで尾崎翠の作品を読んで以来しばらくは尾崎ブームがわたしの中で続き、この映画『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』を観たいと思っていた。 その時がやっと今日かなったということだ。
映画は、尾崎翠の実人生、そして、尾崎翠の代表作である『第七官界彷徨』の世界、それに加えて尾崎翠を知らない現代の若者達の場面の三つの場面が交錯する、立体的な構成になっている。
「こほろぎ嬢」同様、『第七官界彷徨』の世界は映像も台詞もおどろくほど原作の通り。わたしの乏しい空想力をはるかに越えていた。奇妙な4人の同居人たち。透明感のあるこの世からどこか遊離しているような空間。あたかも物語の内側に足を踏み入れたような興奮を覚えていた。
しかし、それにも増して興味深かったところは、尾崎翠の実人生だった。わたし自身、浜野監督と話をするまで、翠が75歳で病院で息を引きとる時、大粒の涙をこぼして「このまま死ぬならむごいものだねえ」という稲垣真美氏による年賦の記述が印象に残って、翠は不幸な内に死んだと思いこんでいた。 どうやらそうではないらしいということが分かってきたが、この映画では尾崎翠がどういう作家であったのか実に良く伝えていた。
翠が文学者の高橋文男との同棲するに到った経緯も、高橋氏自身による「恋びとなるもの」という文章(創樹社版「尾崎翠全集」月報に掲載されている)に忠実に再現されていた。 また浜野監督自は真実な翠を見出すべく、翠の郷里の鳥取へ出向き、生前の翠を知っている人から翠について直接聞いたというが、その取材に基づいて描かれた翠は実に生き生きと逞しい女性であった。
<続きは明日>
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