たりたの日記
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昨日の日記にわたしは葬儀の事、死の事を書いた。 わたしはよく、死の事、そして誕生の事を考える。 そして死の後の事、また誕生の前に事にも想いを馳せる。
わたしという存在は、果たしてこの世に生まれた時からこの世を去る、数十年の間にしか存在しないのだろうか。 それならば、この地上で出会った大切な人々、家族や友人達とも永遠にその関係が閉ざされてしまうのだろうか。 それこそが、とても不自然な事のようにわたしには思える。
ここに生きている人間も、この地上を去った人間も、これからここに生まれてくる人間も、人間といカタチではなくとも存在し続けると考える方がはるかに自然で理に適っているとしかわたしには思えない。
けれど、こういう事っていうのはなかなか話題にはならないもので、自分の心の中だけにしまっておく事が多い。 そう、言葉ではうまく表せない・・・
ところが、一昨日の夜のこと。 同居人mGが、自分のブログにこんな詩を載せていた。 というより、あたしに捧げてくれた詩なのだった。 時々彼が詩モードになる事は知っているけれど、 この言葉はちょっとびっくりするものがあったのだ。 いろんな意味で・・・ そしてしみじみとうれしかった。
「君と出会ったのは 確か47億年前のこと たぶん、そうだよね?
僕らは泡であり、振えだった
そのころから 僕も君もなにも変わりはない ずっと泡であり、フルエだった
そして47億年?が流れ カタチをまとった僕らは出会った えーと、30年前かな?
けれど僕は知っている 47億年前と何も変わってないことを しんのしんから 知っている
そう 47億年前の君も こんなエレガントなウェイブを 纏っていたものだね
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