たりたの日記
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今日は教会で葬儀が行われた。 この教会の初期の頃からの会員の方で後2週間ばかりで90歳を迎えるという、1月7日の顕現主日の日、天に召された。
牧師の妻として教会を支え、4人の子ども達を育て、老いた老父母を看取り、夫を看取り、ひたすら人に仕える人生を送った方だった。
葬儀の説教の最後にY牧師が朗読した「 天に一人を増しぬ 」という詩は慰めに満ちた、心打つ詩であり、朗読だった。
葬儀が終わり階下で待っていると、運ばれる棺に先立って、Y牧師の聖書を朗読する声が聞えてきた。
「心の貧しい人々は、幸いである、 天の国はそ人たちのもにおである。 悲しむ人々は、幸いである、 その人たちは慰められる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朗読は棺が教会から運ばれ、門を出、車に乗せられるまでの、かなり長い間、行き交う車、道行く人の中で続けられた。 まっすぐな、ゆるぎのない朗読だった。 この方が今から向かう天へとその朗読の声は昇っていくかのようで、Y牧師の周囲には晴れ晴れと澄み切った空気があった。 地上の身体から離れ、この世での務めを終える日、このように、これまでささえられ、愛してきた聖書の言葉によって送り出されるというのは、 何と幸いな事だろうかと思った。
天に一人を増しぬ
セラ・ゲラルデナ・ストック作/植村正久訳
家には一人を減じたり 楽しき團欒(まどい)は破れたり 愛する顔 平常(いつも)の席に見えぬぞ悲しき されば天に一人を増しぬ 清められ救はれ全うせられしもの一人を
家には一人を減じたり 歸るを迎ふる聲一つ聞こえずなりぬ 行くを送る言一つ消え失せぬ 別るゝことの絶えてなき濱邊に 一つの霊魂(たましい)は上陸せり 天に一人を増しぬ
家には一人を減じたり 門を入るにも死別の哀れに堪えず 内に入れば空しき席を見るも涙なり さればはるか彼方に 我らの行くを待ちつゝ 天に一人を増しぬ
家には一人を減じたり 弱く浅ましき人情の霧立ち蔽ひて 歩みも四度路(しどろ)に眼もくらし さればみくらよりの日の輝き出でぬ 天に一人を増しぬ
實(げ)に天に一人を増しぬ 土の型にねち込まれて 基督を見るの眼も暗く 愛の冷かなる此処 いかで我らの家なるべき 顔を合わせて吾が君を見奉らん 彼所こそ家なれまた天なれ
地には一人を減じたり 其の苦痛、悲哀、労働を分かつべき一人を減じたり 旅人の日毎の十字架を擔うべき一人を減じたり されば贖はれしたましひの冠を戴くべきもの 一人を天の家に増しぬ
天に一人を増しぬ 曇りし日も此一念輝かん 感謝賛美の題目更に加はれり 吾らの霊魂(たましい)を 天の故郷に引き揚ぐる 鏈(くさり)の環更に一つの輪を加へられしなり
家には一人を増しぬ 分るゝことの断えてなき家に 一人も失はるゝことなかるべき家に 主耶蘇(イエス)よ 天の家庭に 君とともに座すべき席を 我ら全てにも あたへたまえ
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