たりたの日記
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2006年09月20日(水) |
夕礼拝のオルガン弾き |
今月から毎週水曜日に教会で夕礼拝が始まりました。 毎週日曜日の礼拝の他に、もう一度礼拝に出るというのはわたしにとっては初めての事。 (祈祷会とか、聖書研究の夕べに出ていた事はありますけどね) 水曜日は教会の英語学校で教えているので、6時に最後のクラスが終わって、2時間後の礼拝に出席するのはそんなに難しいことではありません。
毎週日曜日の朝に教会に行くなんて気がしれないとか、感心だねぇ〜とか、人によってリアクションは様々ですが、わたしにとっては、教会の椅子に座って、聖書の朗読を聴いたり、讃美歌を歌ったり、説教を聴くというのは気持ちの落ち着く良い時間ではあるんです。仕事では教える立場に立っているからか、人の中に埋もれて受身で聞いていられるっていうことはそれだけでやすらぎます。
でも、教会というところは、みんなで礼拝を作っていくという意識がありますから、司会者がいたり、聖書を朗読する人がいたり、オルガンを弾く人がいたり、後こまごまとした担当や当番があるわけです。でもそれも、20人ほどのメンバーみなで分担すれば、大したことではありません。
ところが今度始まった夕礼拝はそもそも参加者が数名ですから、分担という訳にもゆきません。数名いる教会のオルガン担当者はみな夜は来れないので、わたしが毎週オルガンを弾くという事になってしまいました。 数年前までは月に一度、オルガンを担当していたのですが、プレッシャーが大きいので、担当からはずしてもらい、月二度、教会学校のオルガンだけ、弾いて来ました。
あぁ・・・練習をサボっていたツケがこんな時にやってきます。 今日の礼拝の奏楽のこと。目と手が微妙について行かない。一人で難なく弾いていた奏楽曲を今日はもののみごとに間違えました(汗) 一にも二にも日頃のトレーニング不足です。 運動だってダンスだって1週間も休めば、身体の動きが鈍くなるのだもの、 楽器ならなおさらですよね。
しばらく離れていたオルガンや教会音楽にまた向かい合う機会が望まずしてやってきたという事なのでしょう。 ここに、あなたの課題がありますよ。途中で投げ出してはいませんか? とそんな声が聞えるようです。
かつて学んだ事、身に付けた事というのは、何かの、誰かの役に立つために用いなければならないものでしょう。それを使うことを怖れて、土に埋めて置く事を、あの方は良しとはしないのですから。
自分のなけなしの力、たとえ貧しい技量でも、それを何とか磨いて、用いていただこう。
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