たりたの日記
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2006年09月11日(月) |
高村光太郎 を読む <秋の祈> |
文学ゼミの日。 テキストは高村光太郎の詩から 「根付の国」「―人に」「道程」「秋の祈」「レモン哀歌」「米久の晩餐」「ぼろぼろな駝鳥」「のっぽの奴は黙っている」の8編。
高村光太郎の詩、とりわけ、「道程」や「智恵子抄」に収められた詩は、中学、高校、青年期を通して繰り返し読んできた。 その言葉もリズムも、またそこから届くエネルギーも、もはやわたしの血となり肉となってわたしを形づくっているような気すらする。 長い時間を経て、再び高村光太郎の詩に出会う。 なつかしさや感謝と共に、かつて見えなかったものも見えてくる。つまり私自身の変化をそこに認める。
町のすき焼屋での人々の様子を描いた「米久の晩餐」などは、若い日にはおもしろくもなんともない詩で、素通りしたのだろうが、今読めば、なんとも味わい深く、じんわりと胸が熱くなってくる。反対に、憧れでも理想でもあった智恵子を詠った恋愛の詩の中に、若い日には覚えることのなかった失意も覚える。
さまざまに心が動いたが「秋の祈」と「――に」とについては感想をまとめてみることにした。 しかし、こうしたレポートはいつもその日にならないと、書き始めることができない。時間が目の前に迫ってようやくパソコンに向かう。時には間に合わず、行きの電車の中でノートに走り書きをする。 メンバーの団菊氏のように、足を運んで資料を探し、レポートにまとめたものを、事前にメールでお送り下さる用意周到さに比べれば、なんとも泥縄のレポートだが、間際でなければ、このことを書きたいという強い気持ちがどうしても起こらないのだからしかたない。・・・などど言い訳しながら。発表したレポートを今日と明日の日記に載せることにしよう。 ここでもう一度、考えながら。
高村光太郎を読む <秋の祈>
秋の祈 高村光太郎 詩集「道程」より
秋は喨喨(りょうりょう)と空に鳴り 空は水色、鳥が飛び 魂いななき 清浄の水こころに流れ こころ眼をあけ 童子となる
多端紛雑の過去は眼の前に横はり 血脈をわれに送る 秋の日を浴びてわれは静かにありとある此を見る 地中のいとなみをみづから祝福し わが一生の道程を胸せまつて思ひながめ 憤然としていのる いのる言葉を知らず 涙いでて 光にうたれ 木の葉の散りしくを見 獣(けだもの)の嬉嬉(きき)として奔(はし)るを見 飛ぶ雲と風に吹かれる庭前の草とを見 かくの如き因果歴歴の律を見て こころは強い恩愛を感じ また止みがたい責(せき)を思ひ 堪へがたく よろこびとさびしさとおそろしさとに跪(ひざまづ)く いのる言葉を知らず ただわれは空を仰いでいのる 空は水色 秋は喨喨と空に鳴る
*
高村光太郎は、秋を、そして冬を愛したと言う。 中学校の時の教科書にあった「冬が来た」という詩がとても好きだった。 冬になると、その詩の中のフレーズを思い出し、口にした。
きっぱりと冬が来た ―― 僕に来い、僕に来い 僕は冬の力、冬は僕の餌食だ。
このフレーズを思い起こす時、この言葉はわたしの内側に流れ込んできて、わたしの内にある何かを燃やすように思えた。 その言葉に焚きつけられて、わたしもまた、冬よ来い、わたしに来いと、<きりきりともみ込むような冬>を喜んで迎えるような気持ちになるのだった。
今回のゼミのテキストで「秋の祈」を読んだ時、昔から馴染んできた、高村光太郎の「冬が来た」の詩の気分が蘇ってきた。 様々な詩人の書いた秋の詩はそれなりに味わい深いく、秋への想いを豊かなものにしてくれるが、高村光太郎の詩は、秋の美しさや寂しさを見せてくれるのではなく、 あの冬の詩のように、何か、内側に力のようなものを呼び起こす。 わたし自身もどこかで感じ取っている「秋の魂」ともいうべきものを、そのおぼろげに感じているそれを、まっすぐ、胸元に連れてくる感じなのだ。 光太郎が触れた秋の持つ「気」、それをそのまま、読み手に直球で投げる、そういう感じがする。 言葉や表現のディティールではなく、この詩が発している「気」そのものに作用されるに違いない。
高村光太郎のいくつかの詩については、その詩を味わうというよりは、その言葉の持つエネルギーを糧のようにいただいていた事に気づいたのは、光太郎自身が自らの詩作について書いた文章を読んだからだが、それらを読むと、光太郎の詩がなぜそのような働きを持つのか納得がゆく。
光太郎は自分の詩は「気」が言葉となったものだという。 そして詩は言葉にのりうつった「気」であると。 「気」つまり「エネルギー」なのであれば、それは読む人の内に入って、そこに作用するはずだ。 さすがに彫刻家、アーティストの気合だ。 光太郎自身が書いた詩についての文章がおもしろかったので以下、抜き出しておく。
以下 高村光太郎詩集<思潮社>からの抜粋
高村光太郎 「気について」 (昭和13年12月)
人間の捉えがたい「気」を、言葉をかりて捉えようとするのが詩だ。気は形も意味もない微妙なもので、しかも人間世界の中核を成す。 詩が言葉にのりうつった「気」である以上、詩を言葉で書かれた意味にのみ求め、情調にのみ求め、音調(ヴェルレエヌは音楽といふ)にのみ求めるのは不当である。 詩は一切を包摂する。理性も感性も、観念も記録も、一切は詩の中に没入する。即ちその一切を被わないやうな詩は小さいのである。気が一切を呑むのである。
「自分と詩との関係」から最後の部分抜粋 ( 「文芸」 昭和15年5月号 )
詩の世界は宏大であって、あらゆる分野を包摂する。時にはどんな矛盾をも容れ、どんな相剋をも包む。生きている人間の胸中から真に迸り出る言葉が 詩になり得ない事はない。記紀の歌謡の成り立ちがそれを示す。しかし、言葉に感覚を持ち得ないものはそれを表現出来ず、表現しても自己内心の真の詩とは別種の詩でないものが 出来てしまふといふ事はある。それ故、詩はともかく言葉に或る生得の感じを持っている者によって形を与へられるのであって、それが言葉に或る生得の感じを持っていない者の胸中へまでも、 入り込むのである。ああさうだとひとが思ふのである。それが詩の発足で、それから詩は無限に分化進展する。私自身のこの一種の詩の分野も、詩の世界は必ず包摂して時そのものの腐葉土とするに違ひないと信じている。 私の彫刻がほんとうにものになるのは六十歳を越えてからの事であろう。私の詩が安全弁的役割から蝉脱して独立の生命を持つに至るかどうか、それは恐らくもっと後になってみなければ分からない事であろう。
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