たりたの日記
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2006年09月08日(金) なにゆえに 山に向かいますか













< 写真の花は オオカサモチ。蝶ヶ岳へ向かうお花畑で>


岩手県盛岡市に住む蒲公英(たんぽぽ)さんに
わたしはまだお会いしたことはない。
そして東北から北海道にかけてはまだ一度も行ったことがない。

いつか「賢治の山、岩手山に登りたい」と日記に書いたら、
「その時は登山口までお連れして差し上げましょう」と
思いがけないメールを下さったのが蒲公英さんだった。
日常に入り込んでくる、こうしたファンタジーをわたしは好きだ。
その時から、賢治の山も、蒲公英さんもなんだか身近になった。

今日、蒲公英さんからミクシィに書き込みがあり、
わたしは返事を書いた。
そのやりとりを、わたしは覚えておきたいと思い、
ここに残すことにした。
いいですよね、蒲公英さん。
(蒲公英さん、ご承諾ありがとうございます)


<蒲公英さんからのメッセージ>


「山行き に寄せて」

なにゆえに 山に向かいますか
そこに何がありますか
肩にくい込む荷物は
辛くはないですか
汗と泥にまみれた登山靴は
重くはないですか

山の素晴らしさを体感している者が
のたまうべきことではないけれど
その山行きが羨ましくもあるのです。
いかに仲間に恵まれているのかということ
それを共有できるということは
このさきの大きな財産になって残るのでしょう。

あの頂に立ったときの達成感は
なにものにもかえ難いものなのですね。
ふとこんな未来が見えてきます。

「いざ、マッキンリーへ」
という題の日記が残されていて
あー、とうとう行ってしまったか
と画面のこちらがわで頬杖ついている自分の姿です。
せめてそのときは三日くらい前におしえていただきたい
と思います。




<蒲公英さんに答えて>


蒲公英さん、
「いざ、マッキンリーへ」 という日記を書くような時が来たなら、
せめて三日前には予告をすることにいたしましょう。


なんだか、山は呼ぶのですよ。
どの山からどういう風に呼ばれるのは分かりませんが、
ただわたしは耳をすませて、そこからの声を聞こうとすることでしょう。
そして呼ばれたらいつでも出かけられるように準備をしておこうと、
そのことを日々の励みにもすることでしょう。

肩に食い込むザックや重い靴はけっして快適ではないけれど、
雨や風の冷たさや、照りつける陽射しの熱さもうれしいわけではないけれど、
そのくらいの苦労をするのでなければ、
あの山の素晴らしい場所に入らせていただくのに
つり合いが取れないと感じるのです。

人はなぜ山へ向かうのか―
山へ行かない人も、山へ行く人も
きっとその問いを問い続けていくのでしょう。
なぜだか分からず、そこへあくがれる心があります。

もしかしたら、
山というところは
地上のあらゆる場所の中でも
いちばん天国に近いところなのかもしれない。
高いということだけではなく―

この、やがては朽ち果てる身体が、でもそれだけではないことを、
言葉によってではなく知らされるような―
ちっぽけな命が、その小ささのままで
大きい命の中にすくいとられ、見つめられるような ―
そんな不思議な安心を覚えるのです。

なぜ賢治が繰り返し、繰り返し、あなたのふるさとの山、
岩手山に登り続けたのか、
わたしはその事を自分の身体で確かめたいと思います。
その山から呼ばれる時を待つことにしましょう。

蒲公英さん、その時はどうぞ、よろしくご案内ください。



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