たりたの日記
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<今年のユリ>
子ども達が二人とも家を離れ、いっしょにに住んでいないとなると、わたしは母であったことを忘れてしまう。 これは幸せなことなのか、それとも不幸なことなのか、よく分からない。
今日は長男Hの24歳の誕生日だった。 時間が取れるなら、新宿かどこかで待ち合わせして食事をご馳走するよとメールすると、今夜は友だちがバースデーパーティーをやってくれるという。何かほっとする。もう母親の出る幕などないことに。
さて、でかけなくてよいのなら今日はボランティア。 午後から夕方にかけて、NPOつくしんぼ保育室の手伝いに行く。 この日の手伝いは24人分のおやつのフレンチトーストを作り、明日のおやつの桃のゼリー(近くで果樹園をやっているSさんが桃を木箱いっぱい届けてくれた)を作ることと後片付け、その合間に絵本の読み聞かせをした。
我が家の子たちが小さい頃によく読んでやった、「ぐりとぐら」や「もりのなか」を保育室の子ども達に読み聞かせしていると、もう20年も経っているのに、その絵本のフレーズはすっかり覚えていて、文字を見ないでも読めるほど。 よほど数多く、繰り返し読んだのだろう。
Hはとりわけ絵本が好きだった。 朝目を覚ますや枕元においてある本や本棚の本を抱えてきて、「オンデ」と催促する。まだ言葉もろくにしゃべれない頃のこと。 だからわたしの子育て仕事は絵本を読むことから始まり、夜寝る時の読み聞かせで終わった。
日中も、わたしが一休みして座ると本を抱えてやってくる。自分の読みたい本など読める時間はなかった。 声に出して読んでやると、指をしゃぶりながら、食い入るように絵本を見ているのだが、本が最後のページになると間髪入れず、次の本を持ってくるという具合だった。 わたしもいつしか幼児の眼で絵本の世界に浸っていた。
今日、保育所でおやつの前にそこにいた数人の子ども達に絵本の読み聞かせをしていると、次々に子ども達がやってきて大人数になった。本の途中でやってきたSなどは、「ぼく、はじめのところ聞いてなかったから、もう一回最初から読んで」と、強行に指示するので、同じ絵本をもう一度最初から読む。他の子たちも文句はいわず、もう一度その絵本に熱中する。 それにしても、幼児たちはほんとうに、絵本に食いつかんばかり。これはいったいなんだろう・・・
我が子の誕生日はもう一度、誕生の場面、子育ての場面を思い返す日なのかもしれない。 読み聞かせた絵本の中に、さまざまな育児の場面が沁みこんでいて、記憶は記憶を呼ぶ。 過去が今に繋がる。
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