たりたの日記
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2006年06月20日(火) |
動けないことから生まれるゆとり |
火曜日の仕事は家から目と鼻の先にある教室。山用のザックに教材を詰め込み、松葉杖をついて出かける。
いつものように跳んだり跳ねたり、ヨガやったりという英語のクラスは当然できないけれど、指遊び、絵本、ゲーム、塗り絵など、いろいろと教材を駆使してけっこう楽しいクラスになった。
動けないから、子ども達の方に近づいてはゆけないので、その分子ども達を少し離れたところから眺めることができる。自分のやっていることもより客観的に見るゆとりが生まれる。 そうすると、わたしは普段はちょっとテンションが高すぎだなぁ〜とわが身を振り返る。 アップテンポで飽きさせないというがわたしのモットーだけど、このくらいおっとりと子ども達に向かった方がいい場合もある。のんびり子ども達の関係ないおしゃべりにも、ふむふむと受け答えするくらいのゆとりも必要だな・・・と。
実際、幼稚園児は自分の事をしゃべりたくってたまらない。 「あのね、あたしね・・・」 「ぼくんちのおとうさんね・・・」 「せんせい、これ見て・・・」 「新しいスカートはいてきたの・・・」 8人が8人ともてんでばらばらのことを話しかけてくるので、対応はけっこう大変。どの子も自分の話をきちんとキャッチしてもらいたいのだから。 いつもは教えることを優先させるが、今日は聞き流さずに聞き止めたという感覚があった。 これ、大切だな。
わたしが動けない分、子ども達の方が接近してくるようなぬくもりがあった。いえ、今日はその接近をぬくもりとして感じるゆとりがあったのだろう。
「せんせい、いたいの〜」 「きをつけてね〜」
こんなに小さい子でも、いえ小さい子どもだからこそ持っている弱さへのいたわりをもらう。
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