たりたの日記
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勉ゼミの日。テキストは吉田健一「辰三の場合」 去年の1月に吉田健一の「酒宴」を読んだ時には、この文章にわたしはおおいに影響を受けた。これがきっかけで酒に開眼したのだ。(その経緯は 吉田健一著 「酒宴」 から始まったことに記した)
しかし、今回のテキスト、読み始めるといつの間にか眠っているという調子で、はじめのうちは、少しも進まない。 頭が拒否するのか、はたまた身体に睡眠薬のように効くエネルギーがあるのか、とにかく眠ってしまうのだ。 しかしある時から眠りが襲ってこなくなり、そうするとまるで笑い話のように笑えた。 この作家は読者の笑いを取るべくおもしろがって書いているなという気がしてくる。
ところがさらに読みすすめると、今度は腹が立ってきた。作家が超インテリというのは分かる。博学で見識があり、世の中の流行や風潮には影響されない、確固たるアイデンティティーを持っている作家だ。 しかし、この小説の中で、彼が言いたいのは、考える力の無い者はなまじっか考えるな。芸術家の資質がないものは、そういうことに手を出すな。文学や哲学や芸術というものは一握りの才能を持つものに任せ、そうでない者は農村でのんびり過ごせばいいのだ。と、つまりはそういうことを言いたいのではないかと腹が立ってきたのだ。 この主張への異論はゼミの後からもしきりと頭に浮かんできたが、ここで書くと長くなりそうなので止めておく。
ところで、今回のことで、以前に読みかけたままになっていた 吉田健一著「時間」のことを思い出した。 すでに読んで線を引いてあるところを読んでみると、おもしろい。 時間をどう捕らえるか、時間とは何かという哲学的記述。読み進めてみよう。
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