たりたの日記
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今年のイースターは4月16日と遅い。 毎年、イースターの前日の土曜日に教会でイースターエッグ作りをしてきた。 100個からの卵を茹で、文字や絵を描いたり、染め付けたりするので、けっこう大仕事だ。 今年は数人が手分けして家で作ってくることになり、わたしは前日の晩20個の卵を茹で、当日の朝、色付け等をした。 礼拝の後の祝会の持ち寄りの料理もこの朝作ったので、イースターの朝はバタバタと慌しかったのだ。 いつもは前日にお菓子を焼いておくので、教会へ行く前の朝のひとときは静かに過ごしてきた事を思う。 この朝の慌しさの故か、それとももっと別なところに原因があるのか、今年はわたし自身、イースターを取りこぼしてしまった感があった。 そこに意識を集めることができなかったのだ。
毎年イースターには、イースターの日記を書いているはずだからと去年の日記を引っ張り出してみた。 去年のイースターの日記<ラボニ!と、その時マリアは叫んだ>
去年の思いが今に繋がり、イエスを見たマグラダのマリアの姿が生き生きと蘇ってくる。
復活。 これもまた。 死んだように思えるもの、一旦は深い眠りの中に沈んだものが再び命を得る。 目覚め、また眠り、そしてまた目覚める。 わたしの身体もそうであるように、魂もまた。 死と再生を繰り返しながら時が進む。
( 4月18日、朝に記す)
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