たりたの日記
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2006年03月19日(日) 怒るイエスの姿

愛するイエス、慈しむイエス、悲しむイエス、哀れむイエス、聖書を読んでいると、イエスの生々しい感情に触れる。そして、ここには激しく怒るイエスがある。
このイエスの怒りがほんとうはどこにあるのだろうと昔から思っていた。そしてどういう訳か、この怒るイエスの姿が好きだった。


「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」


説教者はこの事を私たちの問題として取り上げた。神殿でいけにえの動物達をお金を出して買い、それを供えさえすればそれでよしとする緊張感のない人々を怒ったのだが、ではわたし達の信仰はどうだろうか。

日曜日に教会に来るから、熱心に奉仕活動をするから、それで良しとしていないだろうか。厳しい問いかけだった。
主のいない信仰、神の存在しない信仰・・・
わたし達はそのように大事なものをすぐに見失ってしまう。

イエスの怒り、わたしに対しても。


  <ヨハネによる福音書 2:13−22>


ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。
そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。
イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、 鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」

弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。 ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。

イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」 それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。 イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。
イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。






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