たりたの日記
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2006年01月13日(金) 25年目のアンティックドール



昔話が出たついでに暮れに撮ったアンティックドールの写真をアップすることにしよう。わたしはとりわけ人形が好きだとか、コレクションをしているという訳ではない。
これは高校時代の友人Yが結婚祝いにくれたもの。

当時大阪で助産婦として働いていたYがわたしの結婚式に出てくれるために大阪から大分に戻ってくるというので、確か駅まで迎えに行ったのだった。彼女はボストンバックの他には人形を抱えていて、わたしを見るなり、「はい」と言って、その人形をわたしに差し出した。わたしが戸惑っていると「お祝い」とポツンと言った。そのなんとも風変わりなプレゼントの仕方がいかにもYらしく思われ、何かわたしには不釣合いな感じもするその人形をそのまま小脇に抱えて歩いて帰った。

よくよく見れば人形はえらくりっぱな作りのアンティックドールで、小公女セーラが眼を丸くして驚いた人形のことを思い出した。青いビロードのドレスにはレースのふち飾りがほどこされていて、脱ぎ着できるようになっていた。靴もバックスキンで作った編み上げ靴で、これも脱がすことができた。胸もとに金色の十字架が光っていて、もしかしてYはこの十字架がまず目に止まって、この人形をわたしに買ってくれたのではないかという気がした。
何かそんなような言葉を聞いたように思う。高校生の時はお互いに家を行き来したが人形など目にすることもなければ話題に上ったこともなかったのに。

今年の2月11日で結婚25年。(銀婚式ということになるのかな)
ということはこの人形との付き合いも25年ということになる。年の暮れ、洋服ダンスの上で埃にまみれていた人形の埃を払い、顔を拭き、髪を赤ちゃんのように抱えてシャンプー&リンスし、洋服や帽子を洗い、すっかり緩んでしまったゴムを付け替えると人形は生き生きと命を吹き返したようになった。もう寝室の洋服ダンスの上には戻さずに、居間のソファーに座らせておくことにした。
そういえばいつもこの人形を高い洋服ダンスの上に置いていたのは我が家の腕白小僧たちからこの人形を守るためだった。お陰で洋服や帽子のゴムが緩んだ他は傷も染みもない昔のままの姿だ。

あぁ、Yとも赤ん坊が生まれたばかりの頃一度会ったきり。いつの間にか疎遠になってしまった。ずいぶんしてからお医者さんと結婚し、子供もできたと風の便りに聞いたがどんな風に今を生きているのだろう。「はい」と人形を手渡したYがそのままにあるのなら会ってみたい気がする。


今日、京都のみやさん(今は佐賀に住んでいるが)に手紙を出した。
なかなか書けなかったけれど。みやさんはネットをしないらしいので、みやさんの事について書いた日記のページのコピーといっしょに「育つ日々」の本も同封して出した。
26年前に一度だけ会ったわたしのことなど、とても覚えているとは思えないけれど。新しい出会いがそこから生まれることもあるかも知れない。


たりたくみ |MAILHomePage

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