たりたの日記
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2005年12月12日(月) |
安岡章太郎著 「伯父の墓地」を読む |
今年最後のゼミのテキスト安岡章太郎著「伯父の墓地」を読む。安岡章太郎と聞いた時、いつ頃までだったか同居人の書架の中に「なまけものの思想」という本があったことを思い出した。当時、育児に追われ、なまけるになまけられない身にはおおよそ近づいてはならない本のような気がして手に取ることもないまま、いつの間にかその本も姿を消していた。 そういうわけでこの作家の名前にずいぶんと馴染みがありながら作品を読んだのはこれが初めてのことだった。読んでみれば、なんとも読みごこちの良い、深い味わいのする文章だった。読んでいると、丁寧に料理された、素朴でどこかなつかしい味のする、今ではなかなか食することもないご馳走を味わったようにくつろぎ、また満たされた。
永井荷風の「狐」を読んだ時にも感想に書いた覚えがあるが、作家が自分の子供時代のことを想い起こしながら、子供としての自分の心に映ったことを大人の目でもう一度眺めてみるという書き手の作業にわたしは興味を持つ。それは単に思い出すといったものではなく、自分の成り立ちがどういう具合に進んできたのか、生れ落ちた命がどのような人の下でどのような影響を受けながら育っていったのか、いわば自分の根っこを辿ってゆく作業だと思うからだ。そうして書かれた作品を読むと自分自身が子供だった頃の感受性を蘇らせることができる。わたしもまた自分の根っこへ向かって旅を進めることができる。
この作品を繰り返し読むうちに、この作家の他の作品がぜひとも読みたくなった。幸い古本屋で新潮社文庫の「海辺の光景」と「夕陽の河岸」を見つけた。これには作家の代表的な作品が7編ずつ収められている。翌日は鎌倉に出かけたので、行きと帰りの電車の中で1冊は読み終えた。電車が込んでいて大宮から鎌倉まで立ったままだったが、そのことが苦にならないほど本の中に引き込まれていた。この吸引力はいったい何に寄るのだろう。何か事件があったり、ドラマティックだったりというわけではない。本人の家族や友人の想い出など、作家の身辺のことに題材を取ったものばかりで、小説というよりはエッセイと言っても良いような淡々とした作品なのだが、後を引くおもしろさがあるのだった。
「伯父の墓地」もそうだが「海辺の光景」「宿題」「ジングルベル」「愛玩」「春のほたる」「夕陽の岸辺」といった作品には、本人の父親や母親が登場し、子供の頃の作者が見え隠れする。これほど繰り返し父親や母親が登場してくれば、他人の親でありながら自分の親戚よりも近い存在になってしまう。 確かに親のことを書いているのだが目的はそこにない。親を通して、あるいは親を見る自分の眼を通して、晒しているのは畢竟作者自身だと思った。自分はいったい何者なのかとしきりに訪ね求めている姿を感じる。そうして訪ねた自分自身をとても謙虚に、それでいて大胆に提示しているように見える。自分へ対する物指しが正確で、眼差に曇りやうそ偽りがないので、どの作品も読んでいて疲れることなく、明るさや、すがすがしい印象が残るのだと思う。 自分や家族の弱さや欠けを描きながら、そのことに悩んではいない。それを受け入れ、むしろ愛し、臆することなく読むものの前にそれを投げ出すというのが、この作家の有様なのではないかと思った。
さて、テキストの「伯父の墓地」だが、この作品は安岡氏が七十歳の時の作品で、1990年に文芸春秋2月号で発表され、翌年、川端康成文学賞を受賞している。私的な関心から付け加えると、作者はこの作品が書かれる2年前に遠藤周作の影響でカトリックに入信している。
最後の部分がこの作品の山場という気がするが、そこには火葬がいやだと言っていた生前の伯父の意志を汲んで、土葬が禁止されている昭和30年代半ばに家族が苦労して伯父を土葬にしたという出来事が書かれている。そして、そこへと向かって、まず日本の土葬と火葬の歴史的なことから話しが始まる。芭蕉の、<影法のあかつき寒く火をたいて>という句、またそれを評する坂口謹一郎氏の新潟の農村にある旧家にあった専用の焼き場のこと、そこでの野辺の送りの模様といったことが、大変味わい深い文章でつづられる。好きな箇所を引用しておきたい。 <火葬というものが単なる葬法の一種ではなく、私たち日本人のたましひに深く染み込み、固有の美意識ないしは人生観を形成していることを想わずにはいられない。―我やさき、今日ともしらず、明日ともしらず、そんな文句とともに、私の眼の中にひとりでに霜枯れた朝の田んぼの景色がひろがり、その向こうに人の影らしい黒いものが覗いて、傍らから細い煙がひとすじ空に上っていくのが見えてくるのである。>
その坂口家の墓地から作者は自分の故郷高知県の農村にある同族の墓地に想いを馳せる。そこにある墓石を眺めていると、言いようのない安堵の念を覚えると作者は言う。そしてこの安らぎは何だろうと独り言のように問いかけている。この作品は、この問いから始まったのではないだろうかとふと思った。「若い頃には考えてもみなかったのに、五十歳に入った頃から、この墓地にある親しみを覚えるようになった」と作者は書いているが、その自分自身の変化に興味を覚え、そのあたりを探ってみようとする作者の気持ちが感じられるのだ。 同族の墓に感じる穏やかな気分が、子供の頃、伯父の家で大勢のいとこたちと夕食の膳を囲んだ時の賑やかさを想い出させるとして、時は子供の頃に遡る。いとこたちとのかかわりや、心に残るいとこたちや伯父や伯母の姿やエピソードが生き生きと綴られている。ここで作者は、子供の時に感じた魅力や不思議さを想い起こし、それが何であったのかもう一度味わいなおしているように思える。 その時期からさらに作者の青年期への記憶へと移り、気難しいことで親戚中で有名だった伯父の頑固さに初めて接して閉口させられたエピソードが語られる。料理屋で酔いつぶれた伯父がどうしても家に帰るといって聞かず、夜中の明かりもない田舎道を数時間自転車で走った時の思い出。足元のおぼつかない伯父の後を自転車で走る作者の様子や心情がユーモラスに表現されていて、思わず笑いがもれる。作者はこの時に伯父の本能的な土に対する執念のようなものを感じるのだが、それが最後の部分の伯父の土葬へと繋がるのである。
さて、作者の問いに帰って、同族の墓を見る時に感じる作者の安らぎはなんだろう。言葉にならないようなひとつの感慨として答えを得たような気にもなる。 わたしのことだが、たまにふるさとに帰る度に母の口を突いて出るのが墓のことだった。わたしは自分の墓もそうだが親の墓には一向に関心がなく、キリスト教は墓参りの習慣はないとか、嫁に行ったのだから墓の世話は弟達に任せるとか言ってはずいぶん母を心細い気持ちにさせてきた。 そして今だに墓に対しては何の感慨も起こらない。しかし、これが五十歳を過ぎると何か変化が生じてくるのだろうか。 少なくともこの作品に出てくる農村の古い火葬の風景、伯父の家の墓地の情景にはわたしもまたなつかしいもの、安らぎに似たものを覚えた。そうして不思議な事には昭和30年の中ごろ、祖母の土葬の行列をわたしも歩いたことを思い出したのだ。わたしが4、5歳の頃の記憶。薄暗い墓地へ通じる山の道を親戚や近所の人たちが提灯を手にして歩いていくのだった。男の人達が数人で白木のお棺を担いでいた。きっとわたしの父もその中にいたことだろう。山の上の方にある墓地に着くと、そこには大きな穴が掘ってあってそこにお棺が入れられた。お冠の釘を打つ石の音、足元で揺れていた提灯のさびしげな橙色。
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