たりたの日記
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2005年12月11日(日) ベツレヘムへ旅するマリアとヨセフ

明日(今日)することになっている教会学校のお話のことをここ数日間いろいろと考えていました。

先週は天使ガブリエルが乙女マリアにイエスの誕生を告げる場面だったのですが、明日はマリアのいいなずけのヨセフと身重のマリアが人口調査の勅令に従うためにガリラヤの町ナザレからユダヤのベツレヘムまで120キロを歩いて旅し、旅の途中馬小屋で出産したという場面です。

4、5日も身重のマリアをろばにのせ、それを引いたヨセフ。そしてようやく辿りついたベツレヘムはすでに宿屋は早く町に入った旅人でいっぱいでになっており、どこの宿屋からも断られるのです。マリアは月が満ち、今夜にもお産になるかもしれないと思うと、ヨセフは気が気ではなく脂汗がにじむ想いではなかったでしょうか。ようやく馬屋でもいいならと案内された時にはどんなにほっとしたことでしょう。
客間の快適さにはとても及ばないものの、少なくとも干草の上に身体を休めることもでき、夜露もしのぐことができます。馬屋の天井にはランプがほのかに光を放ち、馬や牛を、そしてそのえさを入れる飼い葉おけを照らしていたことでしょう。

そしてこの夜、マリアの出産。そこには母親もいなければ産婆さんも医者もいません。頼りになるのはヨセフだけ。ヨセフにしてもお産に立ち会うのは初めてのことだったと思います。ヨセフは苦しむマリアを安心させながら、祈りつつお産の介助をしたのでしょう。マリアはまだ自分の妻ではなく、生まれようとしている子どもは自分の子どもではないのです。その時のヨセフの心情を推し量ることはできませんが、ひとつの命の誕生に直面し、無事に出産させること以外何も考えられなかったのではないかと思います。

誕生。生まれたばかりのイエスの産声が馬屋に響きます。命がひとつこの世に生まれました。しかもこの命は世の光になるという特別な任務を託された命。
出産を終え、安堵し、疲労困憊のマリアとヨセフ。さて、生まれたばかりの赤子をどこに寝かせよう・・・目の前にある飼い葉おけは赤ん坊を寝かせるにはちょうど良い大きさ。ヨセフはそこに干草を敷き、赤ん坊を布でくるみそこに寝かせます。

世界ではじめのクリスマスの夜のできごと。
不思議に光る星の下、貧しい馬屋でのできごと。
福音のはじまり。

(トップの写真は教会のカラサワさんの作品)


たりたくみ |MAILHomePage

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