たりたの日記
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仕事の帰り、友人二人と待ち合わせて、新宿のうたごえ喫茶「ともしび」へ。 とにかく歌いに歌う。 わたし達を誘ってくれたYは別として、わたしももう一人の友人も初めてだというのに、「リクエストをたくさん下さったこちらのテーブル方方どうぞ」というお誘いに乗って、新来客の身でありながら、しょっぱなから前に出て歌ったのだった。
わたし達と相席になったおじさま方は、歌集を見なくてもすっかり諳んじて歌えるほどに慣れていらした。聞けば、週に1・5回は来るという常連の方たち。それで、いっしょになって盛り上がり、ロシア民謡や、労働歌など、元気のいい歌を次次に歌ったのだった。
わたしの世代は、うたごえ喫茶全盛期の世代より20年くらい後の世代ということになるのだろうか。グループサウンズから、フォークソングへと移行していった時代で、うたごえ喫茶のことは名前だけしか知らなかった。それでもそこに、何か愛着があり、歌集の歌のほとんどを歌えるのは、父が好きで良く歌っていたからなのだろう。
子どもの頃、家にころがっていた歌集を広げ、ソノシート(プラスティックに紙のように薄いレコード)の歌を聴いて一人で覚えては歌っていた歌は少なくない。人といっしょに歌う機会もないままだったが、記憶の中にはしっかりと残っている。
カリンカ・泉のほとり・おお道よ・赤いサラファン・なつかしい歌、カナダ旅行・・・・ そんな子どもの頃の歌を、ちょうど父の世代の方方といっしょに歌うのはなんとも感慨深かった。そしてしきりに父の事が思われた。こういう場所、好きだっただろうな。どんなにか喜んだだろうなと。
♪赤いサラファン縫う時は いろりに静かに火が燃える・・・・ ・・・・・・・・・ 燃えるようなその頬も 今にごらんよ色褪せる
だから娘よ母さんの いっとく言葉を良くお聞き・・・・
まだ12か13歳の頃、それこそ燃えるような頬をしていた頃、この歌を好きでいつも歌っていたけれど、これは母親が娘を想って歌う歌。しかも年頃の子どもの母というちょうど今のわたしの年齢の。 どうして、この歌がそんなに好きだったのだろう。 その歌を歌っているわたしの事を母はどう思っていたのだろう。 多忙を極めていた母は娘がのんびり歌う歌など耳には入っていなかったに違いない。思い出してはなんだかおかしい。
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