たりたの日記
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2005年11月14日(月) |
尾形亀之助の詩に思ったこと |
勉ゼミ、今回のテキストは尾形亀之助詩集「障子のある家」全篇。 ゼミの始る前に会場の新江戸川公園の紅葉散策をしようとSさんと2時半に公園で待ち合わせる。この公園散策の事はまた別の折に書くとしよう。
家を出る時までに感想をまとめることができなかったので、行きの電車の中と、Sさんとホテルのロビーでゼミの予習をしている時に紙片にペンを走らせる。感想なのだし、文章にしなくても口答で言えばいいのだが、いつもうまく言えず、口ごもる。人に語るというのではなく自分に向かってしゃべるというところをどうしても通らなければ言葉が出てこないのだ。また文章にする中でようやく見えてくるものもある。いつかどこかで書いたような気がするが、書くという即興性を帯びた状況がわたしを自由にしてくれるらしい。
ここに記したものは、ゼミの前に走り書きしたものに、ゼミの後に他の人の感想を聞いて感じたことを書き加えたもの。 まだこの詩人のことは知りはじめたばかり、とても把握などしてはいない。あくまで、今感じていること。この原稿はこれから先、何度も書き換えられていくことと思う。
< 尾形亀之助の詩に思ったこと>
人間というのはみなどこか可笑しくて、間が抜けていて、可愛い生き物なのだろう。けれどもそれを無防備に出していれば、バカにされたり、軽く見られたり、あるいは突っ込みを入れられたりと、何かと痛い目に合う。
そんな子どもの頃からの経験が、人間が本来豊かに持っているおかしみや、おバカ加減をどこか人目につかないところへ押し込めさせるのだろう。他の人はどうだか分からないが、わたしはそうだ。もっとも隠しきれていないから、いつだってしっぽが見えていて突っ込まれるという憂き目に合うのだが・・・
尾形亀之助の詩を読んでいると、何とも妙な心地になる。ほっと安堵したり、きまりの悪いような気分になったり、またものすごい事を目の前でやってのけられたように唖然となる。
それは亀之助が他の人間とは別のやり方で自分のおかしみとかかわっているせいではないだろうか。彼は凡人が隠そうとするものこそを明るみに出す。それは子どもの表現のように無垢な格好で現われているものの、彼自身はそこに価値があることを知っている。それこそが、自身の詩には不可欠なものだと、彼の詩人としての武器なのだという自覚がある。「わたしは弱い時にこそ強いのだ」というパウロの言葉を思い起す。
大人として社会に認められるために捨ててきたものに、しかし、愛着や口惜しさがある。亀之助が臆面もなく、子どもしか持ってはいないような感覚を堂々と詩にしていることが何ともうらやましく、あっぱれだと感じ、またそうなれない自分を振り返ってさびしさが走る。
この詩人に会うことができてよかった。この詩人の詩を眺めていると、自分の中にあるおかしさ、無垢な部分をもっと評価してやってもいいような気になる。鎧のようなじゃまなものはあっさりと脱いで、ほっかりと自分を開いてもいいんじゃないかという、居直った気持ちが湧いてくる。 少なくともこの文を書いている今、わたしの肩甲骨のあたりは緩み、呼吸は深く穏やかに優しい。亀之助の言葉によって「脱力」させられているらしい。
しかし、これほど詩の中に自由に自分を開いている亀之助は、人間社会の中にあっては言葉をつぐみ、心は閉ざし、頑なに鎧を着ていたのではないだろうか。だからこそ、彼が生き延びるために、このような詩を書くことが必要だったのかもしれない。
また別の角度から見れば、時代が強いものを求め、力によって国民が束ねられようとしていた時、亀之助はそこに組しない。正津先生が「脱力の人」の中で書いておられる、彼の詩、またその在り方はその時代への抵抗、非戦の証だったとする論は実にその通りだと思う。 そうすればこの「なんなの、これ!」というようなへんてこな詩が何とも凄いものに見えてくる。
ゼミでは興味深い感想がたくさん出て、どの人の意見もおもしろかった。 尾形亀之助は大人として成熟していない人で、放浪の画家、山下清のような詩人― 言ってみれば、ヘタウマの詩人― 尾形亀之助は哲学者で、人間の生のすべてがフィクションであり、人は物語を作って生きていることを、その活動の無意味さを訴えている― 読む人によってこのように評価が様々なこともおもしろい。
亀之助が稀有な無垢さを持っていることは確かなことだ。しかし、単に未成熟というのではなく、そこに価値があることを本人は認識していたとわたしは思う。子どもは無垢であっても、それを客観視できないが、彼は大人の賢さと鋭さとを持って、自らの無垢さを武器にしたように思える。真実、彼はスタイリスト。亀之助の詩は誰の、また何の影響からも自由で、それ故に今でも新しく感じるのではないだろうか。
また、わたしは亀之助の中に虚無は感じない。むしろ積極的に物語を生きることを選んだと思うのだ。何もしないで生きるという物語を・・・ 時代がそれを許さなくとも、彼は彼の「約束」を見つめ続けたのではないか。 「何か約束があって生まれて、是非といふことで三十一にもなっているのなら・・・」というフレーズが意味深い。 ここに人の生が単に偶然の産物、空しく生まれては消え去るというようなものではなく、「約束があって生まれてくる」ものだと受け止める亀之助の人生観がのぞいている。 当然約束をかわした相手がそこにはある。亀之助は自らが被創造物であることを認識しているのだ。(人の思考、あるいは生き方の根底に、自らが創られたものであるという認識があるか否か、あるいははっきりとそれを否定しているかは、その人を考える上でもっとも大きな事ではないかとわたしは常々思っている。) 亀之助がそのような人生観の上に立っているならば、人の活動の無意味さを訴えているのではなく、むしろ何も活動せずに生きているという、人が無意味だとする、そんな生にこそ意味があることを、その時代の中にあって主張したのではないだろうか。 被造物であることを認識する故の自由さ、脱力で。
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