たりたの日記
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2005年11月01日(火) |
去年の11月の日記を開いてみる |
このことは毎年カレンダーを11月にする時に起こる感覚。 たった2枚になってしまったカレンダーの頼りなさを思わず指先が感じてしまい、はっとする。
なぜ11月なのかは分からないが、過ぎていこうとしている1年をふっと振り返る気持ちになる。 1年前の日記を開いてみるのもいつも11月。 そして去年はいつ来春の庭のための植え込みをしたのかも確かめる。 去年は16日、いつもより2週間遅いと書いてある。来週までの間にやってしまわねば・・・
去年の11月1日の日記のタイトルは 『「鳥獣虫魚」、「闇の中の祝祭」を読んでいる』となっている。
―「闇の中の祝祭」はどうやら奥さんと愛人の葛藤を描いているようだが、わたしはこの緊張感はとても耐え切れない。自分に対して冷め、他の女を熱愛する夫のもとなど離れてしまえばいいではないか、家を出るのがいやであれば、夫に愛人のところへ出て行っていただいて出直せばいいじゃないかと、じれったく思いながら読んでいる。―
えらく威勢のいいことを書いたものだ。 読むまではこういうことを書いたことをすっかり忘れている。
去年の11月1日は月曜日で、わたしは文学ゼミに2度目に参加している。翌日の日記はゼミの感想で、テキストは吉行淳之介の「夢の車輪」。 このあたりは読み返すと、その時の情景がぽっと映像として写し出される。また日記には記していないが、メンバーの発言や表情、そこでわたしが考えたことなども記憶の中から引き出される。 書かなければ、こうした記憶も甦ることなく消えていくのだろう。
さて、10月31日はゼミの日だったが、わたしは不参加だった。 用があったわけではないのだが、珍しくへたばっていた。 土曜日の英語学校のハロウィンのイベントと、翌日のつくしんぼ保育室のイベント、そこまででグロッキーだったのだが、その夜ダンススタジオへ。11月5日のステージに向けて3時間の踊りこみ。 踊ったり運動したりという疲れはほとんど翌日に影響ないのに・・・これはやはり2日間大勢の人の前で何かをしたことによる人疲れ、気疲れのせいだろう。
ゼミのテキストは長谷川四郎のシベリア物語より「小さな礼拝堂」 戦時中、シベリアで捕虜になっていた日本兵たちの事が淡々として口調で書かれている。小さな礼拝堂というのは捕虜の中で死者が出たら隔離するために作られた死体安置所のこと。 そこに入れられた3人の死のかたち。 作者はいっさいの感情を思考を停止させたかのように、被写体に向けたカメラの眼のように、見えることだけ、聞こえることだけを淡々と描写する。 わたしは、その映像を見ているかのように読む。そしておそらく映像よりもリアルにその場に立ち会う。 しかし、そこに立ちながら、わたしもやはり感情を自分の外へ追い出す。何も考えまいとする。それしかできない。こんな平和な暮らしの中にいては。 ただそうして死んでいった人達の事を記憶の中に留めて置こうと思う。
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