たりたの日記
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2005年10月31日(月) |
HappyHalloween ! |
10月のいちばんお終いの日はハロウィン。 日記を書いている今はすでにこの日が終わろうとしていますが、地球の向こう側のアメリカは今ハロウィンの一日が始ったばかり。
もう10年以上も前の事になりますが、この日、息子達が通っていたニュージャージーの小学校ではハロウィンのパレードとハロウィンパーティーがありました。子ども達はそれぞれ変装用の衣裳を学校へ持って行き、午前中の授業が終わると、それぞれが衣裳を着け、クラスごとにハロウィンパーティーが始まります。ボランティアの母親達がハロウィンのケーキやクッキーや飲み物を教室に持って行くのです。
パーティーの後は、全校生徒が一斉に校庭に出て、グラウンドいっぱいの大きな円を描いて音楽に合わせてパレードです。先生達もその年ごとにテーマを決めて変装に励めます。例えば、絵本のキャラクターとか、映画のキャラクターとか。校長先生も、ライブラリアンも、保健の先生もみんな仮装するのですからそれは観る価値ありますよ。見物人の親や近所の人達が学校に集まってくるというわけです。もちろん見物する親達や小さな妹や弟達の中にも仮装している人がけっこういます。
この日は仮装パレードが終わると学校はおしまい。子ども達はその変装姿のままでやおらTrick Or Treatに繰り出します。持ち物はキャンディーを入れてもらう袋やバック。大きなピローケース(枕カバーになり布製の袋)を持っている子もいます。 外がまだ明るい間は、目抜き通りへ出かけ、商店街を歩きながら好きな店に入ってはキャンディーをもらって歩きます。商店街は仮装した子ども達や子どもを引率する親で溢れかえり、おそらくは一年中で一番通りが賑わう日になります。日本の縁日とか夏祭りの賑わいと似ているかもしれません。
あたりが暗くなると、大きな子は自分達だけで、小さな子は親といっしょにそれぞれ自分の家の近隣の家家を回り始めます。 玄関先にハロウィンのカボチャが飾ってあったり、趣向をこらしたディスプレイがしてある家はTrick Or Treatへどうぞ来てくださいというサイン。玄関の明かりを消してある家もたまにあり、そういう家にはTrick Or Treatには行かないのがルールです。でもたまに、子どもがいない家で、その日がハロウィンだということをすっかり忘れていて、子ども達の気配で気が付き、あわててキャンディーを買いに走るおじさんの姿もありました。 「ごめん、ごめん、すっかり忘れてた。今キャンディー買ってくるから、家には後で回ってきて!」と。 我が家のように、小さな子ども達をTrick Or Treatへ連れていくために、家が空っぽになる場合は、ドアの外に「ようこそいらっしゃいました。キャンディーをどうぞ」という張り紙をして、キャンディーを詰めた小袋をたくさん入れたバスケットを出して置くのです。
隣のおじさんの家はいつもm&m、お向かいはポップコーンの袋と毎年決っている家もあったり、キャンディーのかわりに小銭をくれたり、家の中に入れてくれる家もあったりと、この時ばかりは日ごろ顔も見たことのない住人と親しくご挨拶するわけです。その家の庭に入るや不気味な音楽や笑い声が突然聞こえるしかけがしてあったり、上から蜘蛛が降りてきたりと、びっくりさせられる家もありました。 毎年気合の入ったディスプレイをする通りは観光スポットのように人がたくさん歩き回っています。家の前に置かれた棺おけとか、かぼちゃ頭の等身大のかかしとか、作り物でも夜の闇の中では効果抜群です。 それにしてもなんと遊び好きな人たちでしょう。
子ども達のTrick Or Treatに付き合って3、4時間も歩き回るとくたくたになったものです。当然夕食の支度をする時間もありませんから、この日の夕食はきまってピザのディリバリー。遅い夕食となります。 子ども達はといえば、床の上に袋いっぱいの戦利品をぶちまけ、好きなお菓子と嫌いなお菓子に分けて、兄弟どうしで交換したり、引き取り手のないお菓子はわたしにくれたりと仕分けに忙しいのでした。一度に食べるキャンディーは5つまでとか、そんな約束をいつも取り決めていましたが、果たして彼らが守ったのかどうか、わたしがきちんと監視したのかどうか、毎年のことだったので覚えていません。 とにかくこの日は子ども達にとってもまたわたしにとっても楽しい日でした。
さて、このハロウィーン、ネットでその歴史などを調べてみました。 歴史は紀元前5世紀のアイルランドにまでさかのぼるようです。 当時アイルランドに住んでいたケルト族は、10月31日で1年が終わるという暦を使用し、元旦の11月1日には生から死への移り変わりを意味するお祭りをしていたそうです。このお祭りは "Samhain"(ソーエン)と言われ、ケルト族はこのソーエンの前までに穀物を収穫したり、家畜を料理したりして冬越えの準備を整え、元旦には聖なる樫の木で焚火をし、穀物や動物を焼き、時には人間を生け贄にしたといいます。また、この時期は生の世界と死の世界の境界が薄くなると考えられていたため、死の世界からやってくる死霊のために食べ物を屋外に置くのがならわしで、現在の "Trick OrTreat" はこれに由来しているそうです。同時に、死の世界からやってくる悪霊を怖がらせるよう、カブに顔を彫ってランタンにしたり、悪鬼の格好をしたりして、近所中をパレードしたと言われています。 これが後にローマの死者のためのフェスティバル"Feralia" と合体し、11月1日は聖人をたたえるための "All Hallows Day" となり、その前日は "All Hollows Eve" が、現在の "Halloween" という名前の由来と考えられています。 アメリカでハロウィーンが祝われるようになったのは、1800年代も後半に入ってからのこと。アイルランドやスコットランドの移民が持ち込んだと考えられていますが、このでは、カブではなくパンプキンが使われるようになりました。きっとパンプキンの方が手に入りやすかったからでしょう。 ちなみに、ハロウィーンカラーはオレンジ色と黒色ですが、オレンジ色は収穫を、黒は死を意味しているとのことでした。
さて今年もHalloweenが終わり、秋は次第に深くなっていきます。
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