たりたの日記
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2005年09月18日(日) |
礼拝の後にダンス6時間という日曜日 |
今日のことをメモだけ。
午前9時半から教会学校。話の中で昨日の日記に書いた「花さき山」を読む。
10時半から主日礼拝。初めて教会にいらした方が二名。 説教題は「教会の徴」、テキストはマタイによる福音書18:1−14(下記参照) 教会とは何かという問いかけから説教は始る。ここ1週間、わたしが考えてきたことだったから、思わず身を乗り出す感じで聞く。ノートもたくさん執る。 今夜は時間がないから、このことはまた後日に。 午後2時〜8時まで ダンスの練習。明日のステージのための通しと、 10月の芝居ダンスの出はけの確認と振り入れ。振り入れというのは、そのダンスの振りつけを初めて習うことだが、我等の先生は、実際にわたし達を踊らせながら、降りてきたインスピレーションに促されるように、その場で創ってゆく。今回も、そういう創造の現場に立ち会うことができた。それは厳粛ともいえる何かが生まれ出る瞬間だ。 最後のシーンの振りつけはとてもスピリチャルだと思った。 これを多くの子ども達と大人がいっしょに踊るとそれだけで感動的という気がする。
ダンスの練習の後は同居人と居酒屋で食事をして電車で戻ってくる。 二人ともかなり疲れてお腹も空いていたものだから、駅前の「長浜ラーメン」という看板にふらふらと引き寄せられてのれんをくぐってしまった。しかし、店に入ったものの、残念ながら、長浜ラーメンとは名ばかりで、、豚骨スープで細麺の長浜ラーメンを食べさせる店ではなかった。ラーメンはあきらめ、ビールと居酒屋メニューにする。ゴーヤのかき揚げはなかなかおいしかった。
明日はいよいよステージ。今日は芝居ダンスの方が中心だったから、明日の午前中に最後の仕上げをしなくては。 礼拝説教のことや、振り入れの事など書きたいことはたくさんあるが、今夜はもう寝なくては。
では、おやすみなさい。
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マタイによる福音書 18:1−14
1 そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。
2 そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、
3 言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。
4 自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。
5 わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」
6 「しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。
7 世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。
8 もし片方の手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても命にあずかる方がよい。
9 もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。両方の目がそろったまま火の地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても命にあずかる方がよい。」
10 「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。
12 あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。
13 はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。
14 そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」
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