たりたの日記
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2005年09月02日(金) |
瞬間 ― 時間の流れに永遠が突入する時 |
今日は一日家にいて、今度の日曜日に礼拝で話す証詞の原稿書きをした。 ここ1週間、そのための調べ物などするうちにいろいろと興味深いサイトに出会うことができた。
逍遥の人、セーレン・キルケゴールというホームページもそのひとつ。 「キルケゴール 瞬間」という検索で行き着いたサイトだった。で、わたしが知りたかった事も見つけることができた。
わたしが知りたかったのはキルケゴールがいうところの「瞬間」の概念。 とても興味深いところなので、抜書きしておこう。
HP逍遥の人、セーレン・キルケゴール「不安の概念」(2)より
<キルケゴールは「人間が時間的なものと永遠的なものの総合である」という。ここでいう「人間」という言葉には、「いま生きているということを実感している実存」という意味が込められている。つまり、いま生きているということの実存感は、時間的なものと永遠的なものが総合されるところで生じる、と言っても良いかもしれない。そして、この時間的なものと永遠的なものが総合される時を「瞬間」という。瞬間は単なる時間の規定ではない。瞬間は時間における永遠の反映であり、時間の流れに永遠が突入する時をいう。 通常、人は過去から未来へと流れていく時間を考え、「瞬間」も「永遠」も、その時間の流れの中で理解しようとする。だから、「瞬間」と言えば「ごく短い時間」を示し、「永遠」と言えば、その時間が未来永劫に続いた未知の時間を意味するものと思ってしまう。時間の延長が永遠であるならば、そこには「未来」はあっても、「永遠」は存在しない。それ故、死すべき生命をもっている有限な人間は、「永遠」を考えることができないのである。だが、「永遠」が時間の流れに突入する「瞬間」を感じ、また考えることができる。 たとえば、何かに熱中した時、人は時の流れを忘れ、時間を感じない。まるで時間が止まったかのように思われる。そして、そんな時の人は、実存の充実感にあふれている。生きている喜びにあふれている。それは精神のエクスタシーであり、「瞬間」とは、まさにそのような「時」に似ている。>
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