たりたの日記
DiaryINDEXpastwill


2005年07月02日(土) オレンジ色の花を持ってお見舞いに

タミといっしょにY先生を病院へ見舞う。
タミの運転する牛の模様の車(彼女は白い車に黒いペイントで牛の黒い模様を付けている)で、道を探しながら行く。

アメリカ人のタミは日本語もすっかり身体に馴染んだが、この辺りの道はわたしよりもはるかに詳しい。

Y先生はわたしたちが通っている教会のメンバーで、以前この方の事を2002年8月18日の日記メメント・モリ あなたの死を覚えよに書いている。

あの日記を書いた頃は礼拝の説教を担当なさるほどお元気で、月一度のダンテの「神曲」の学習会ではエネルギッシュな講義をしてくださっていた。また、翌年には最後の翻訳、カール・バルトの「キリスト教倫理学総説1/2」の翻訳を出版なさった。

しかし、1年前から健康を害され、入院生活が続いている。
しばらく病室をお尋ねしていなかったので、気にかかっていたので、タミといっしょに行ったのだった。

そういえば、タミの亡くなった御主人のヨシヤさんの肺癌が見つかったのが、ちょうど去年の今頃。そして、ヨシヤさんはWeb日記泣いて笑って空を見てを書き始めた。そしてヨシヤさんの闘病日記をタミが受け継いでその後も書き続けている。数あるWeb日記の中でも、アメリカ人が日本語で綴る日記は珍しいのではないだろうか。母国語でないが故の新鮮な日本語に驚かされる。

病室に入るとY先生は眠っておられたので、眠りを妨げないよう、わたし達は近くのコーヒーショップで一時間ほどおしゃべりをする。その道すがらに花屋があり、その店先に美しいオレンジ色の見慣れない花があった。かがり火という名前がついている。新品種の花なのだろうか、その色が元気をくれそうな気がしたので、病室へ持っていくことにした。

二度目にお尋ねすると、目を覚まされていて、いろいろおしゃべりをした。以前お尋ねした時よりも、お元気な印象を受けた。

神に仕え、社会に貢献し、様々な偉業をなさったY先生は今は、人生のしめくくりの時を生きておられる。
「最上のわざ」という作者未詳 ヘルマン フォイヴェルス訳の詩を思い出した。この詩のことは2001年7月23日の日記に書いている。


たりたくみ |MAILHomePage

My追加