たりたの日記
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長い夜が明けた。 カーテンを開くと薄暗がりの中に外の景色が見えている。
朝6時11分に、携帯から夫に 「今わたし一人で看ています。酸素は再び80台です。脈、血圧とも正常です。・・・・・」とメールを送っている。 この時点では、義父は再び危機的状況を潜り抜け、今日も看病の一日が始まるという事を疑わなかった。 その後、義姉と交代して仮眠を取り、8時過ぎに病室へ戻った時には 「今起きてきたとこ。おとうさんが弱っているけど落ち着いています」というメールを送っている。
しかし、その後の義父の様子はこれまでとは明らかに違っていた。義父はしきりに首を振る。しかし言葉で訴えることはできない。疲弊が限界に来ているのではないだろうか。
わたし達が駆けつけた翌日、その日は午後に来るという孫達をまだかまだかと待っている時だったが、医者がうとうとするお薬を使いましょうかとわたし達に聞くと、本人がその会話を聞いていて、はっきりと拒否したので、医者は「気丈な方ですね。ご本人にそういう意志があるのなら、薬を使うのは止めましょう」といい、それ以来、ずいぶん苦しそうな時にも、意識を朦朧とさせる処置が取られることはなかった。けれどもどうだろう。今義父がその処置を望んでいても、自分の口で頼むことはできない。今の義父にできる意思表示はうなずくか首を振るかのどちらかしかないのだ。
わたしは薬を使いたいと父が思っているのではないかと話す。義姉と義母がそれぞれ義父にうとうとする薬を使いたいかと聞くと、義父は二度とも強く頷く。そのことを主治医に伝え、さらに主治医から薬を使うかどうかを尋ねてもらう。義父はそうして欲しいと首を縦に振る。 点滴にドルミカムという薬が加えられる。一番薄い状態で使ってみるということだった。義父はアリガトウと言うように片手を顔の前で動かす。9時半過ぎ。
薬が効き始めたのか、義父の呼吸が穏やかになり、うとうとと眠りに入ったように見えたので、義母と義姉は洗濯などの用を済ませに一度家に戻る。 しかし、義父の眠りは長くは続かず、今までにないほど、目をしっかりと開け、しきりに何か言おうと口を開くのだが、言葉にはならず、義父が言おうとしている事を聴き取ることができない。 せめて、義父が安心することを話したいと、わたし達夫婦が仲良くしていること、子ども達もそれぞれがんばっている事、何も心配ないから安心してと話すと、いちいち頷いてくれる。
その間にも、80台だった酸素の量がずんずん下がり、40台に落ちたので、義母と義姉に早く戻って来た方がいいと電話する。12時過ぎ、義母達が戻って来たので、わたしは夫に連絡すべく、病院の外へ出る。その後、病室に戻ってみると義父はもう意識もないようで、一刻も争えない状況になっていることが分かる。ここからは3人とも一時も目を離さず父を見守る。
やがて酸素の数値が測定不能となる。看護婦と医師が病室に入って来る。医師は手の平に時計を携えている。呼吸は止まったり、吹き返したりをくり返す。そしてとうとう止まったまま、吹き返すことはなかった。 心臓が停止する。 午後1時2分です。医師が時間を告げる。
義父はりっぱに自分に与えられた生を生き終えた。
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