たりたの日記
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| 2005年01月08日(土) |
冨岡多恵子を読んでいる |
冨岡多恵子の『波うつ土地』『芻狗』を読んでいる。
アマゾンのレビューを見るとこのような紹介文がのっている。
さりげなく見える"日常"の底に、人間の"生と性"の深層を鋭く抉り、苛烈にして鮮烈な新しい洞察の世界を描き出す、時代の尖端に立つ富岡多恵子の鮮かな達成―。 「BOOK」データベースより
ここに時代の尖端に立つ富岡多恵子という表現があるが、たしかに富岡多恵子は新しい。誰も書かなかった女がそこにあるかもしれない。誰も表現しなかった「性」がそこにあるかもしれない。赤裸々でありながら、エロティシズムはかけらほどもない。むしろかたくななまでに、これまでさまざまに描かれてきた性の甘美さや陶酔を激しく嫌悪し、そこに闘いを挑んでいるような風情がある。それ故に小気味良い。男にとって女はひとつの幻想であり、また女にとって男もまた幻想なのだろうが、ここで冨岡の描く男は徹底的に俗悪でみっともない。性的な関係を求めながらも徹底してその男を侮っている。わたし自身の在り様とは180度違うのだが、彼女が書かないではおれないその部分のことは良く分かるのだ。
前回読んだ「遠い空」にしてもそうだが、彼女はとりわけ女性にとって「性」とはなにか。散々男性によって推し量られ、手垢のつけられた「性」を新しい切り口で描き出す。エキセントリックといえばそうかもしれないが、そこから来る問いかけは無視できない。
いづれこの作品の感想をきちんと書きたいと思う。
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