たりたの日記
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2005年01月01日(土) 宮崎で迎えた元旦

日本全国昨夜から雪模様らしかったが、宮崎は太陽がさんさんと降り注ぐみごとな日本晴れ(何ともレトロな響き)だった。

ところで、数えてみると自分の家以外の場所で新年を迎えるのは10年振りのことだ。というのも子ども達が小学生でまだ子ども料金で移動ができる時分なら、JRを使って家族4人で九州まで帰省もできたが、航空運賃が跳ね上がる年末に家族4人で旅するとすれば海外旅行よりも高くつく。それに加え部活の合宿があったり、受験が控えていたりで家族4人の日程も合わず、正月前に夫とわたしがそれぞれの実家に駆け足で帰省することで勘弁してもらってきたのだ。しかし、親達はずんずん年を取る。親達といっしょに新年を迎えることができるのもそれほど多くはないかもしれないと思うと、今年は我が家4人の正月を断念して、わたし達二人だけが老親達と共に正月を過ごすことにしたのだった。


さて、夫の実家の新年の祝いは義母の聖書の朗読と祈りに始まる。それからわたしが大分の実家から持ってきたおせち料理と、義母が生協で注文していた3段重ねのおせち料理で、新年を祝った。その後義母とわたしは教会の元旦礼拝に出席し、午後から義姉の運転で、義父、義母もいっしょに西都原古墳へドライブ。義姉とわたしは、20分ほどジョギングをする。もう10日くらい運動らしい運動をしていないから、走り始めは少しきつかったものの、スパンと開けた公園で、美しい山並みを見ながら走るのはずいぶん気持ちが良かった。家へ戻ると、義姉とわたしは汗をかいた運動着のまま、埴輪相手に写真を撮っている公園に夫を迎えに行き、3人で近くのスーパー銭湯へ繰り出す。

夜はまた食べての飲んで、さらに夕食後、3人で焼酎を飲む。いったいどんな焼酎なのか訳も分からずに買ってきた「閻魔」はわたしとしてはなかなかおいしく、前の晩に飲んだ夫おすすめの「黒霧島」よりも、体に合うのか2杯飲んでもぜんぜん平気だった。

さて、我が家に置いてきた子ども達はどうなったのか。、いくら22歳と20歳とはいえ、子ども達がそれぞれどのような正月を迎えるのか、気にかかっていたが、上の子は大晦日から新年にかけて先輩のパーティーに呼ばれたというし、下の子は大学の寮に残ったまま、なんと男の子3人とおせち料理まで作って新年を祝ったと聞き、まずはほっとしたことだった。

と、いかにも日記という日記で今年の始まりの日記としよう。








たりたくみ |MAILHomePage

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