たりたの日記
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2004年09月23日(木) |
「アイ・ロボット」を観た |
久し振りにシアターで映画を見た。 だいたい映画に行かない?と同居人に持ちかけるのはたいていわたしの方で、彼がそれに付き合うという図。たまに同居人がどうしても見たくないというのもあり、そういう時は昼間、一人ででかける。 そう、いろいろ気は合うものの、映画の趣味においてはかなり違う。最近はレンタルのDVDがあるから、わたしはわたしで彼は彼で、好みの映画を部屋の向こうとこちらで見るということができるから、お互いに歩み寄る必要もなくなって都合がいい。
で、今日は珍しく、同居人からのお誘いだった。 「アイ・ロボット、好みじゃないだろうけど、行かない?」 彼が言うには、エンジニアとしての日々の仕事と無関係じゃないから見ておきたい映画なのだと言う。未来の科学にも、エンジニアの将来にもおよそ興味と関心のないわたしだが、夜の遅い時間、大きなスクリーンを前に、少し斜めになったすっぽりとおしりを包み込むような椅子に深く腰をおろし、ひたすら無心に画面を見つめるというそれだけでも十分魅力的だと思った。帰りも車で楽チンだし。 「いいよ。眠るかもしれないけれど」 と同意する。
果たして、「アイ・ロボット」おもしろかった。見終わった後、何度もおもしろかったねと口にするほど楽しんだのだった。文句なしのエンターテイメントだった。楽しい映画なんてつまらないというわたしの日頃の言い分がこの日ばかりは通用しなかった。だって楽しんでしまったのだ。
さて、しかし、この映画、よおく考えてみると、空恐ろしい話しだ。不完全な人間がどんなに「まちがいなく」、人間に役立つロボットを作ったとしても、そこに綻びができる。その綻びの重大さにまず気が付いたのが、ロボットの生みの親である博士だった。博士は自らの命を捨てることで危機を阻止すべく一人の刑事に託す。 これ以上書くとネタバレになってしまうので、このくらいにしておこう。 それにしても、刑事役のウィル・スミス、かっこよかったなぁ〜。
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