たりたの日記
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2004年09月21日(火) |
詩人たちが残した愛の詩を旅して |
ここ一月ほど、ひたすら辻仁成の著書に没頭してきたが、自叙伝風小説「刀」を読んだところで、ようやく気が済んだ。 一巡りの旅が終了したようなそんな気分。
では今度は何に向かって旅しているかといえば、この百年の間に生きた詩人50人の恋愛の詩、そして相聞句歌へ向かって。 旅のガイドは、正津勉著「詩人の愛ー百年の恋、五〇人の詩」と「刹那の恋、永遠の愛ー相聞歌40章」 読みながら、時間と空間を越えてひとりひとりの詩人や歌人の心へ深く降りていくような行くようなそんな集中が生まれる。
知っている詩人や歌人、文人もいるが、初めて出会う詩人も多い。 いずれにしろ、こんなにも真剣に人を恋し、その証としての詩や歌が残されている事に不思議な感動を覚える。 人間の一生のなんと儚いこと。ましてや恋などはさらに儚いもの。けれどもそこに起こる強い感情や、苦しみや喜びは言葉に残されることで永遠のものとなる。 その詩や歌は作者を遠く離れて、今を生きている者達の魂にすっと寄り添う。恋愛の詩が心に触れるのは、それがひりひりとしたむき出しの魂で書かれているからなのだろう。 わたしは恋の詩が好きというよりも、この何もかも脱いだようなむき出し具合が好きなのだと思う。
そういえば、連れ合いが、昨日のWeb日記に珍しく恋の詩らしきものを書いていた。わたしはそれをふんと鼻先で笑ったり、どういう意味!と目尻を吊り上げて追求したりはしない。 その事をおおいに評価したいと思う。ホントに。 いい歳して、いえ、いい歳になったからこそ、書ける恋の詩というものが あっていい。
で、あたしも書こう、恋愛の詩、あるいはストーリー。
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