たりたの日記
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2004年09月16日(木) |
辻仁成の「愛と永遠の青い空」を読んだ |
昨日のうちに辻仁成の「愛と永遠の青い空」を読み上げ、今日から「刀」を読んでいる。これで11冊目。
辻氏のこれまでの作品は青年が主人公で、扱っている世界も、写真や絵や音楽といった芸術の分野、いわゆるトレンディーなストーリーなのだが、この「愛と永遠の青い空」の主人公は75歳の妻に自死された男、周作。頑固一徹の戦中派。真珠湾を攻撃した時のパイロットだった。
妻の死の意味、戦争の意味、自分が生きてきた事の意味。この物語の最初からずっと投げかけられているのは、すでに人生を締め括ろうという時期を迎えている周作の問いだ。そして読者であるわたしは、その本を読むことで、周作の問いをいっしょに探そうとしていることに気がつく。わたしが周作といっしょに探そうとその本の世界にのめりこんでいったのは、その問いが、わたし自身の問いと無縁でないことに深いところで気が付いていたからなのだろう。
戦友2人とハワイへ行き、真珠湾で攻撃を受けた側のアメリカ人や二つの祖国の間で苦しんできたアメリカの日系人達に出会う。また周作はその旅に妻小枝が残した日記を携えている。 これまで生きてきた事がらと、ひとつづつ出会い直しをし、そこに新しく意味を発見していく周作。それは単なる回顧や後悔などではなく、自分の過去との出会いなのである。
わたしが今この著者の作品を読みたい理由として、ひとつには作品全体を通して自分を超えたところにある神の視線とでもいうべきものを感じることを、前の日記にあげたが、今回は、作家の人生への捉え方、そして生きるということがどういうこと、あるいは死がどういうものなのかという真摯な問いかけに、共鳴しているのだという事に気が付いた。 こんな言い方を許してもらえるなら、その捉え方の具合や、問いの深さ加減が、わたしのサイズに合っているということなのだろう。 それが浅ければつまらないと思うし、また深すぎれば共鳴するに至らない。
また男性の身勝手さを描けても、その事の故に傷つく女性を、納得の行く書き方で書く男性作家になかなか出会わないと思ってきたが、辻氏の作品に出てくる女性の内なる訴えや叫びなどは女性として十分共感ができる。そもそも男性なのだから女性の側に立って書くということは難しいに違いない。しかし彼の作品の中の女性達は男の目が見た一方方向の女ではなく、女が女としてきちんと書かれていると思うのだが、どうだろう。
最後にこの本の題名、「愛と永遠の青い空」というのは、なにかインパクトに欠ける気がする。むしろ副題の They rest in peace(彼らは平安のうちに眠る)の方がぴったりするのだが。 そう、この本の中にはいくつもの死が描かれ、また死の向こう側へと行った霊たちも、重要な登場人物として大切なメッセージを伝える役目を担っている。 この世の旅を終えて、休みへと入った彼らは確かに平安の中にあって、そのことが生きる者への励ましとなっている。
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