たりたの日記
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2004年08月05日(木) |
赤い光りがこぼれる夜に |
明かりを落としたリビングルームの丸いガラステーブルの上、 様々なトーンの赤いガラスをはめ込んだステンドグラスのランプシェードを通して不思議な赤い光りがこぼれている。
友が送ってくれた思いがけない贈り物のランプ。 このランプは夜の部屋の空気をすっかり変えてしまった。 キャンドルが灯る暗い部屋のように、暗闇が神聖なものになる。 実際わたしは、このランプの明かりがまっすぐ見える、このテーブルから離れる気がしないし、夜の時間が刻々と過ぎてゆくのが惜しまれるのだ。
でもこの赤いステンドグラスのランプはこれからは夜ごとに灯るのだから 明日の夜を楽しみに、しばらくしたら明かりを消し、寝部屋へ行くとしよう。
画家のはるさんのサイトの掲示板で、染色家 toshiさんと対話が続いている。 「あちらの世界」と「こちらの世界」のことから始まって、「迸り出る世界」まで。 新しく出会ったtoshiさんの世界に少しずつ入っていくことで、わたしの世界の色合いが少しづつ変る。友から送られてきたランプがわたしの夜を変えたように。出会いとはおもしろい・・・
<今日掲示板に書き込んだこと>
toshiさん、わたしも時時、眠れない夜中に一人起きだして、何をするかといえば、PCを開くのです。どこかわたしの世界の外にある「迸り出る世界」を求めての事だと思います。 孤独だからこそ、他の人の孤独、そこからの迸り出るものが染入り、力のようなものをいただきます。
「人は生まれながらに固有の世界を持っている。その世界はいわば孤独というのと同意義なのだが、決して悲劇的な、閉鎖的なものではない。それは充足した、円満な、迸り出る世界である。」 福永武彦著「愛の試み」より
一昨日のはるさんの日記の >「自分の表現」は気が付かないけれど、もうすでにすべての人が持っているものなのだ・・・・ の箇所を読みながら、この「自分の表現」を「祈りの心」とも「迸り出る世界」とも置き換えられるのではないかと考えました。 気がついているかいないかの違いはあれ、すべての人がすでに持っている何か。 toshi さんが、車窓から見て「すごい」と思った数知れないたくさんの誰かの「世界」がそこと繋がるように思いました。 自分以外のすべての人と、実は根底のところでとてつもないものを共有しているというおののきが起こる時、この世界は捨てたもんじゃないという気になります
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