たりたの日記
DiaryINDEX|past|will
ハーブの精油の中にパチュリーというのがある。 麝香(じゃこう)のような、墨とか香を思わせる、甘く重い香りを持つ。 パチュリーはシソ科の植物で原産国はインドネシア・中国・マレーシア・インド。本にはオリエンタルでエキゾチックな香りと記されている。インドでは伝統的な医学でひろく用いられてきた精油でもあるらしい。
わたしが初めてこの香りと出会った場所はアメリカだった。アメリカ人のDの家を訪ねた時、家の中にこの匂いが満ちていた。わたしはこの匂いのとりこになり、またその匂いをまとっているDに興味を覚えた。彼女が5歳の時に他界した父親は著名な著作家で、Dも父親の影響か、小説や詩を書いていた。
そのDと、わたしはいっしょに子ども達を遊ばせたり、料理をしたり、キッチンのテーブルで話込んだりしたものだったが、彼女はよく、わたしと話すと仏教に心酔していた時の気分にさせられると言っていた。わたしがキリスト教の信者だと知っていてである。ヒッピームーブメントの中でDは仏教に触れたという事だった。一方わたしは、その国の公民権運動を通じて、黒人霊歌やゴスペルソング、プロテストソングを通じてキリスト教への傾倒を深めた。
彼女がわたしのどこから仏教(ブディズム)を引き出していたのか、わたしは知るよしもないが、彼女の国の文化の中にはない東洋的な物の考え方や宗教観が知らず知らずのうちに出てきていたのだろう。 パチュリーとの出会いをモチーフにした小説の部分を書きながら、今日はそんな事を考えていた。
そういえば、実家の母はお寺のご詠歌のグループに入っていて、毎週お寺に通ってはそこに集まる婦人達といっしょにご詠歌の練習をしているのだが、母がご詠歌の指導をされているお寺の奥様に「育つ日々」を差し上げたところ、とても共感して下さったという事だった。そればかりか、ご詠歌にいらっしゃる方々に本を勧め、注文を取りまとめて下さったらしく、母から20冊の注文があった。その方に、わたしはまだお会いした事がない。 今度実家に帰った時にはお寺を訪ねて、ご詠歌の集まりにも出てみようと思っている。
そういえば、全く意識していなかったが、今日出掛ける時に持って出た本は「声明は音楽のふるさと」(岩田宗一著・法蔵館)だった。 南ドイツにあるボイロン修道院のグレゴリアンチャントの文献を探していて、この本の事を知り、アマゾンに注文した。 作者は仏教音楽の研究者なのだが、ボイロンの修道院でしばらく修道士と共に生活し、この修道院に特色のあるグレゴリアンチャントを学んだというのだ!
わたしは12年前、家族と共にこの修道院を訪れ、修道士達の歌うグレゴリアンチャントを実際に聞いている。その歌はとうてい忘れる事はできない、何にも形容し難い美しさだった。その魅力や、特質がどこから来るものなのか知りたいと思っている。 グレゴリアンチャントを始めて聞いた時、仏教の声明に似ていると思った。新しい西洋の音楽というよりは、むしろわたしの血の中に流れている音楽という感覚があった。 そこにあるものを見つめてみたい。
今日、宗教は対立し、区別する方向ではなく、そこにある共通するものを見出す方向に向かう必要があると思う。そして、そういう気づきや動きは、様々なレベルで(宗派の指導者のレベルでも個人のレベルでも)すでに始まっているように見える。今自分の知っている事、信じている事、あるいは信じていないという事の中で完結するのではなく、それぞれが自分のたましいを頼りに、奥へ奥へと分け入ってゆけば、みな、ひとつのところへ行き着くのではないかと、争いも搾取もない、お互いを受け入れ愛し合う世界を、人類が手にする可能性はまだ残されていると、そんなファンタジーを抱いている。
|