たりたの日記
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2004年07月29日(木) |
人形劇 「ヘンゼルとグレーテル」 |
人形劇団「やまいも」から、昨日ネットで注文した「ヘンゼルとグレーテル」の人形劇が届いた。 わくわくする気持ちでパッケージを開ける。 人形劇のビデオを買ったのは初めてだ。
心太日記のさnきちさんの日記で人形美術家、老兵(ラオピン)のことが語られていて、人形劇というものに少なからず興味を持っていたので、人形劇団「やまいも」のサイトで、ビデオの事を知るや、とても見たくなって注文したのだった。幸いわたしの周りには「つくしんぼ保育室」の子ども達や、育児サークル、英語学校、教会学校、まだ小さい甥っ子たちと、見せてあげられる子ども達がたくさんいる。
久し振りに人形劇を楽しんだ。演劇とも、読み聞かせとも違う独特の魅力。生き物ではないはずの人形が息吹き入れられ動き、話し、歌うのだから、そのものがすでにファンタジーだ。 老兵(ラオピン)の作った人形は確かに魅力的だった。 ヘンゼルの内面的な美しい顔と、父親の苦渋に満ちた味わい深い顔がとりわけ印象的だった。
ところでこのヘンゼルとグレーテルの話は、子どもの頃何度となく絵本を繰りながら見入っていた記憶がある。 子ども達が実の親から森に捨てられるという恐怖と、森の中でやっと見つけた夢のようなお菓子の家が実は魔女の罠で、今度は魔女に食べられるというさらなる恐怖。 なんと踏んだり蹴ったりの話だろうと思った。それだからこそ、グレーテルが魔女をパン焼き釜に押し込むというなんとも凄まじい行為の前に、やったあ、よかったと心から安堵できるのだ。
それにしても、ヘンゼルとグレーテルは自分を捨てた親の所へ帰るのである。母親は死んでしまっているものの、意志薄弱な父を許し、仲良く暮らすという、まったくエライ子ども達の話。
グリム童話に限らず、世界の童話の中には、本来力のない弱い子どもや、あるいは動物が、知恵や勇気をふりしぼって自分よりはるかに強い魔法使いや、大男や、やまんばやをやっつけるという話が数多くある。 そういう昔話の中に、子ども達に力を与え、前へ進ませる教育的な効果があったのだろう。 いつか、文庫をやっていた時に「かしこいモリー」という勇敢な女の子のおはなしを暗記して語った事があるが、今でも困難な課題に出会う時、きまってこのモリーがどこかから顔を出し「やってみます!」と勝手に受けて立ってしまう。 大人のわたしですらそうなのだから、お話の子ども達へ影響力はずいぶん大きいだろうと思うのだ。
こちらのサイトでこのビデオ作成の過程や人形劇の人形が出来るまでの様子を一部見ることができます。
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