たりたの日記
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2004年07月26日(月) 書くことのすすめ

今日も暑かった。
けれど、日中はエアコンは入れない。
汗がたらたらと流れるこの自虐的な暑さはそれほどいやじゃない。
夏らしくていいと思う。

外からの風と扇風機で凌いで、掃除をし、パソコンを打ち、台所で煮炊きをし、アイロンをかける。
アイロンをかける時だけTVを見るので、1週間ぶりにTVを見た。
メキシコの人類博物館の遺跡が興味深かった。
こういう番組はもっと積極的に見るべきだと、TVを見るたびに思うのだが、
なかなか実行が伴わない。
TVと相性が良くない。
どうしてだろう。
映画もビデオも好きなのに…

今日はいろいろな方からメールをいただいた。
昨日の日記の感想や、次男の事を喜んでくださるメールや、
昨日出したメールの返信など。
遠くに住んでいる人もいれば、顔も知らない人もいる。
初めてメールを出し、いただいた人も。
この日記を今読んでくださっている方々の多くの方をわたしは知らない。
けれども、なにか、その繋がりのようなものが、わたしを前に進ませるし、
生きていることのひとつの証のように感じている。

今朝、昨日の日記に書いた闘病中の友に書くことを、それもネット上で書くことを勧めた。別に公開しなくてもいい。読者は自分一人であっても。
書くということが、その人をまっすぐ立たせることになると、癒しになると、わたしは思うから。
もし、それを他の人が読むことができれば、同じように病と闘っている人は励ましとなるだろうし、元気な者だってそこから得る糧は大きいと思う。
病と闘う、その事事体が、大きな仕事であり、また物語だと思うから。
それに、自分のまだ知らない自分に出会うことにもなる。
そこにある可能性は大きい。

書き出すということ、それは自分自身に聴くことから始まる。
わたしが求めている事は何、わたしがストラグルしている事は何、ひっかかっていることは何?
考えを深めたり、あるいは自分の外に放ったり、
内部ではずいぶんダイナミックなことが起っているのだ。

今日は仕事がなかったから、午後の時間は書いていた。
実験的に、あらかじめプロットを決めないで、物語の進むままに書いてみている。それはそれで、書く方はおもしろい。それが読む人にとってどうかは分からないが、しばらくこの作業を続けてみようと思う。
明日、明後日で英語学校の仕事はお終い。
いよいよ夏休み。


たりたくみ |MAILHomePage

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