たりたの日記
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2004年07月25日(日) |
神の秘められた計画を知ること |
今日は礼拝の日。 教会学校の奏楽、静かで明るいオルガン曲を祈りを込めて弾くことができた。 昨日の日記に書いた友はそこにいて、いつもと変りない笑顔を子ども達に向けている。彼のワイフも、微笑んでいる。ギターを弾きながら、歌の集いのリードをしている。 わたしだったらできないだろうなと思う。 エモーショナルになっていて、讃美歌を歌ったらきっと泣いてしまう。 彼らは泣かない。悲しみに沈んだ様子も見せない。 静かな、深い、笑顔。 みんな励ますつもりが、彼らに励まされたに違いない。 そんな中で、牧師の言葉はひとつひとつ心に沁みた。
「何のための今日なのか。 何をするために今日という一日が与えられているのか。 神が生かしてくれる命を自分は生きているのだという喜びを持って生きる時、 力が湧き、希望が湧いてくる。 ・・・・・・・ 自由な喜びを持って自分の仕事を果たしていこうとする時、 まずみことば(神の言葉、つまり聖書)によらなければならない。 神の秘められた計画を知ること以外にはない。」
すべての事のなかに、神の秘められた計画があることを知る時、病気も、困窮も、災難も、そのようなわたし達が望まない事の中にも、恵みと慰めがあることを知る。そのことの何と心強いこと。 今日の友の姿がその事を証していた。
さて、今日は25日。心太日記の担当日。 心太(ところてん)日記に、わたしの9歳の時の話、「夏休みの入院」が掲載されています。どうぞお読みください。
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