たりたの日記
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今年の5月2日に「死の陰の谷を行くときも 」というタイトルの日記を書いた。あの時には、次男のMの肺に腫瘍が見つかり、脳と腹部への転移がないかどうかを調べると医者から言われた直後だった。 最悪の事を考えないわけにはいかなかった。 それなりの覚悟をしなければと思っていた。
あの後、様々な検査を重ね、悪性腫瘍の疑いが晴れ、先週、肺分画症の手術のために入院したが、さらなる検査の後、肺分画症の可能性も少なくなり、今回は手術をせずに退院してしばらく経過観察ということになりそうだ。 肺の手術ともなれば、最大左肺の半分を切除することになるのだから、もしそれが避けられるのであればそれに越したことはない。 まずはよかったと思う。
しかし、つい先ごろ、わたしたちの友人が、進行している癌を煩っていると知らされた。何かをしていても、はっとその事の前に考えが止まる。その度、祈る。Mの時のように。
5月2日の日記を開いた。 もう忘れそうになっているあの気持ちを思い出そうとした。 あの時感じていたのは、絶望や不安ではなく、なぜか深い慰めだった。 あのような事態でなければ受け止められない慰め、響いてこない慰めがあった。 だから、友のことをいたずらに嘆くことはすまい。 そこに投げかけられている深い愛と慰めとを同じように見つめていようと思う。 そしてわたしはわたしの日々を今日しかないというように精一杯生きよう。 そして絶え間なく祈りつづけよう。 かたわらにいる、あるいはすでに友を負うて歩いているあの方を感じながら。
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