たりたの日記
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| 2004年06月29日(火) |
「家族狩り」を読んでいる |
ここ数日間、天童荒太の「家族狩り」に没頭している。 これは、新潮文庫で、第一部から第五部まで、今年の1月から一冊づつ発売されてきたらしいが、わたしがこの本の事を心太のワタナbさんから聞いたのはつい先週だった。すごい本ですよと。 わたしは、まずタイトルが気になった。以前、同じ作者の「永遠の仔」が話題になった時は、本屋の店先で立ち読みし、その世界の暗さに思わず後ずさりしてしまい、気になりつつも、読まずにきたのだった。 そのことがひっかかっていたこともあって、「家族狩り」は読んでみようと本屋へ行った。本屋には第3部と4部しかなかったので、ともかくその2冊を読んだ。今日にでも、他の3冊を、とりわけ、完結篇の第五部を読まなければと思っている。
児童相談員の若い女性、児童虐待の疑いのある父親、子どもを亡くし、自殺未遂を計る妻、その夫が追っている事件は、家族一家が残忍な方法で殺されている事件。一見無理心中に見えるが、話の展開は、そうではないもののように暗示している。リストカットをし、家庭内暴力が始まった女子高校生。自分の生き方に疑問を抱く青年教師、ボランティアで思春期の悩み相談や集会をしているなぞのカップル。まだまだ、登場人物はいくらでもいて、それぞれに物語があり、その人の人生が見え隠れする。
暗い、醜い、戦慄が走る、怒りや疑問が沸き起こる。そして、思うことは、この小説の世界がまさに、わたし達の生きる今のこの社会を写し取っているということだった。こういうことは日常的に起こっているのだろう。こういう人達と、わたしは電車の中で、スーパーマーケットの中で、行き交っているのだろうと実感できる。 新聞やニュースで報道される青少年の事件に、駅で頻繁に流れる、人身事故のアナウンスに、わたしたちはもう麻痺してしまうほどだが、心の奥では、人が生きていく上には想像を絶するほどの修羅場があるということ、そして、誰一人、その修羅場と無縁ではないという事を知っている。そこに起こった問題や痛みは、同じ人間である以上、この時代を生きている以上、わたし達、ひとりひとりとどこかで関係しているのだ。
作者が、この作品を通して、個々の人に、また社会に何かを訴えよう、投げかけようとしているのは感じられる。それを知るためにも、残りの本を早く読みたいと思っている。
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