たりたの日記
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| 2004年06月26日(土) |
「めっきらもっきらどおんどん」をプレゼントに |
今日は長男Hの誕生日だった。 26日になったばかりの深夜、Hがバイトから帰って来るのを待って、例のプレゼントを渡す。先週の土曜日の日記にも書いたが、このプレゼントというのは、Hが3歳の時に一番気に入っていた本、「めっきらもっきらどおんどん」 長谷川摂子作・ふりやなな画/福音館書店だ。 いったいどういう反応をするだろうというのが、興味津々だった。
プレゼントの包みを開くや、「うわあっ」と驚きの声。 「これってすごくうれしいかもしんない」 と、興奮気味。作戦成功!
「でもね、なつかしいって感じじゃないんだ。 ずっと見て来たような、昨日も見たような感じ。うんと小さい頃、読んでもらって、それからは見てないのにね」
ふうん、そうなのか。 あまりに何回も読んでもらったから、絵がすっかり自分の中の風景になってしまったのだろうか。
「これ、ぼくの子どもに絶対読んでやる」
それはそれは。 とても父親とは程遠いいでたちのHだが、 ふと小さな子どもを自分の足の間に座らせ、絵本を読んでやっている姿が浮かび上がってきた。
いつか、そんな日が来るとうれしい。
さて、この、「めっきらもっきらどおんどん」。プロットはかの有名なモーリス・センダックの「かいじゅうたちのいるところ」と良く似ている。 かんたが、誰もいない神社で、「ちんぷく、まんぷく・・・」とでたらめの歌を歌っていたら、木の穴から奇妙な声が聞こえ、かんたはへんてこりんな3人組、もんもんびゃっこ、しっかかもっかか、おたからまんちんという、いかにも日本的な妖怪たちと遭遇する。かんたは彼らと夢中で遊ぶのだが、妖怪が疲れて眠ってしまうと淋しくなって「おかあさ〜ん」と呼んでしまう。それは言ってはいけない言葉で、かんたはたちまち現実の世界に戻される。
センダックの「かいじゅうたちのいるところ」と違う点は、3人の妖怪がそれそれ、ユニークなキャラクターを持っていて、そのキャラクターがいかにも子ども心をとらえる魅力的な妖怪たちだということ。 お話を読んでもらう子ども達はかんたといっしょになって、不思議な妖怪たちと心を通わせ、夢中になって遊ぶのだ。
最後の場面、「かいじゅうたちのいるところ」では、マックが冒険から戻ってくると、自分の部屋には夕食がおいてあってまだほかほかと暖かかったと結んである。マックは家に戻ってきたことに安堵するが、かいじゅうたちに未練はない。 一方かんたは、妖怪たちにまた会うために、あの呪文の歌を思い出したいと、 願っている。かんたの「祭りの後の淋しさ」は、きっとどの子ども達にも、そして大人達にも覚えがあって、共感のひそやかな喜びをそこに見つけるのではないだろうか。
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