たりたの日記
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| 2004年06月24日(木) |
考えて、考えた今日のこと |
今日は考えた。とにかく考えた。 駅まで歩きながら、自転車でジムまで漕ぎながら、さすがにラテンを踊る時には考えなかったけれど、その後プールで歩きながら、そしてサウナで、風呂で、また帰り道。
明日担当の心太日記に書こうとしていた13歳の時のこと。 そこから始まるわたしのティーンエイジのこと。 そんな過去の事を考えたって何もでてきはしない、と多くの人は言うかもしれない。確かに過去の出来事は変らない。けれども、そのことがなぜ起こったのか、その時のわたしの心はどうであったのかは、今という時の光りに照らされてよりくっきりと見えてくる。しかしそれは、何か薄皮を一枚一枚剥がすように、心の層を奥へ奥へと辿ってゆく作業が必要になる。
たいていの場合、そこまで考えようとする動機がないから、せいぜい、表層のところで、その時の感情を甦らせるくらいで過ごしてしまう。 実際、昨日は、すっかりティーンエイジの自分に戻ってしまって、言うに言われぬ感情が押し寄せ、泣いたりもした。表層のところで。
わたしがひかかっているのは何なのだろう。解決がついていないと思うのは何についてなのだろう。その時のわたしの心の奥へと旅を進める。 そのためにはそこに至る前のわたしに出会う必要があるし、それから後のわたしを振り返ることも必要になる。 そして何より、わたしが今立っている場所を、もう一度よおく見ること。
夕食後、これまでに書いてきた原稿にまた向かう。 さっきまで気が付かなかった事に書きながら気づかされる。 もつれた糸のように糸の先が見つけられなかったのだ。 何か、するすると解けていく感触があった。 その時に知ることのなかったわたし自身のことが、今になって分かるということに驚いた。 今日一日、考えに考えた行為が形になったのだろう。
過去を振り返るというのではなく、読み解くということ。 どんな過去も、ひとつひとつ、そこには必然があるのだから。
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