たりたの日記
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ここのところ、メールに加えて、一日に数通の手紙が届いています。 「育つ日々」の感想を伝えて下さる手紙。 思いかげなく、「手紙が届く日々」です。
義理の父からは、いくつか写真まで入れての丁寧な手紙が届きました。身体が弱っているのに、手紙は用紙2枚にぎっしりと印刷されていて、この手紙のために、数日間パソコンの前に長いこと座ったに違いありません。
「・・・・読みたかった週刊誌を(佐世保・小6殺人)を後回しにして、一気呵成に読みました・・・・・・・・惜しむらくは、お父さんの元気なうちにこの本を書き上げて欲しかった。どんなにか喜ばれたかと思うと残す・・・・良い話を届けてくれてありがとう。美子にとっても「いい人生」でよかったね・・・・・」
義父の暖かさやユーモアが滲み出ている手紙を何度も繰り返し読みました。 そういえば、わたしだけに宛ててのこんな長い手紙をもらったのは初めてです。
実家に送った15冊の本を、母は父や自分の友人や知人に差し上げたようなのですが、その方々から母宛てに届いた手紙を、母がファックスで送ってくれます。
父の同僚だったU先生から数日前、母に届いたの手紙には
「45年も前の事柄が走馬灯のように私の脳裏を駆け巡ります。・・・・先生に関する項目には、自然に涙が出てきて止まりませんでした。・・・・・子ども達にもぜひ読ませたいと思います・・・・」
とあったのですが、今日はU先生の長女で、わたしの後輩にもあたるMちゃんが、便箋5枚にびっしりと、本を読んで感じたことを書いて送ってくれました。
庭の剪定をしようと、お父さんのところへ行くと、わたしの本を渡され、庭の剪定を取り止め一気に読み、そのまますぐに手紙を書いてくれたようでした。
「ただただ涙が出て、そして笑って、手紙をかかずにはいられなくなりました。」 と、ありました。そして、「自己中的、扱いにくい年頃の我が娘にも読ませるつもりです」と結んでありました。
もう、何年も会っていないし、大人になってからのMちゃんとはほとんど接触はなかったのに、その手紙には、わたしの家でままごとやお人形さんごっこをしたこと、わたしに連れられて教会学校へ通ったことなど、わたしもすっかり忘れている思い出も書かれていました。
同じ町の同じ住宅。同じように、子育てをしていた親達がいて、同じように育っていた子ども達がいました。月日が流れ、わたしは故郷を離れ、それから後の暮らしは分かち合うこともないままに、遠くの人として異なる世界で過ごしてきました。ところが、この本が思いがけなくも、その空白を埋めてくれた。埋めるまではいかなくとも、そこに橋をかけてくれたのだと思いました。
また、わたしの父や、幼い頃のわたしを知らない多くの読者の方も、そこに「懐かしさ」や「共感」を覚え、そのことを伝えてくださる。 本を書き上げた時には思ってもみなかった広がりや繋がり、深い感謝を日々感じています。
書くことで育てられましたが、また読まれることで育てられるなあと思います。
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