たりたの日記
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| 2004年06月11日(金) |
「いい仕事をしたね」 |
これほど、雨が好きだと思ったことがあっただろうかと思い返す。 この梅雨の時期の一日降り続く雨を心地よく感じている自分に驚く。
雨の日、外の世界と何か遮断される感じがあって、心は内に向かう。 何かを聞くでもなく、何かを読むでもなく、どこかぼんやりと何かを見ている。目に映るものは、木々や花や部屋の中のこまごまとしたものなのだろうが、わたしの心はもっと別のものを映している。 あまりにぼんやりとそうしているので、心に映ることを脳はキャッチしていないのだろう。 何かをずうっと映していたものの、それが何だか分かっていない。
何かをしきりに考えた一日だったが、友人のFからの携帯メールに、目ではなく心が覚めた。 Fは、この前からわたしの本を読んでいて、読んでいる途中に「今、ここ読んでる。引き込まれてる」という具合にメールをよこすのだが、今日もそんなメールで、その中に「あなたはいい仕事をしたね。」というフレーズがあった。
ああ、そう、これは仕事だったと、初めてのように思った。 お金になるとか、キャリアを積むとか、そういう仕事ではなく「魂の仕事」。少なくとも5ヶ月あまりの間、本にするということをそんな風に考え、どこにも嘘がないように、どこにも薄汚れた気分がないように、厳しく、厳しく、きりきりと自分に向かい合ってきた。
音楽を作る人も、絵を描く人も、ものを創造する時には、こういう過程を過ぎ越すのだろう。 今創ったものがたとえ未熟なものであったとしても、それが、嘘偽りのない自分の魂の表現であるかどうか、それが「魂の仕事」と胸を張って言えるかどうか、それがないならば、自分の創ったものを愛することはできないだろう。たとえ、その作品が評価され、高価な値が付いたとしても。
本をまとめ始めた時の、またその途中のストラグルを思い起こす。 本になったものの、それを愛せなかったらどうしよう。 今のままでは、わたしは、自分の仕事に満足することができないような気がする。何か違う、こうじゃない。もうこれは全部捨ててしまおう… 画家が絵の具を塗ってはそれをまたパレットナイフで削り取り、あたらしい色を入れてはまたその上に色を重ね、それを果てしなく繰り返すような、そんな作業。高い絵の具を無駄にするようなことはないにしても、書いたものを削ったり、消したり、始めからやり直したり。
「いい仕事をしたね」
今、友人が送ってくれたその言葉がしみじみうれしかった。 そしてに「うん」と、素直にうなずくことができた。 未熟は未熟だけれど、これは「魂の仕事」だったと。 わたしの今を精一杯注ぎ出したと。
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