たりたの日記
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| 2004年05月28日(金) |
エッセイ集「育つ日々」発売開始! |
今日は記念すべき日でした。 この1月から手がけてきたエッセイ集「育つ日々」が本日刊行されました。 この本がようやくわたしの手元から離れ、あちらこちらへ旅することになります。いったいどういう場所へゆき、どういう人からどのように読まれるのか、 もうそれはわたしのあずかり知らないことで、本はひとつの命を持って、読まれるべきところへ出かけることになるのでしょう。
わたしは以前から、本はまるで人間のように命を持つと感じてきました。たとえば、本屋の店先や図書館で、まるで本がわたしを呼んでいるとしか思えないような感じで、その本に吸い寄せられることがしばしばあります。それは、たいてい、その時のわたしに必要な本です。そういう本に出会うともう作者なんてどうでもいいわけです。その本と直に関係を結びます。もしかすると、作者が意図したようには読んでいないことだったあるのでしょうが、本というのは そういうものだと思います。
本が命を持つようだと書きましたが、実際、この5ヶ月のプロセスは出産を思わせるようなところがありました。 妊婦であるわたしは、初めての本作りですから、本が世に出るという最終的なところは見えるものの、そこに至るまでどういう過程があるのか、イメージできないわけです。 もうここいらで陣痛は終わりかなと思いきや、また次の陣痛の波が来るという感じでした。そしてちょうど助産婦さんのように、編集者は、すべての過程が見えているわけですから、大丈夫です。いい本になります。ここはこうしたらどうでしょうかと、「出産」がうまくゆくように、励ましや方向づけをくれるわけです。 妊婦は自力で赤ん坊を生み落とさなければなりませんが、もう何人も赤ん坊を取上げてきた助産婦さんの手が、がっしりと出てくる赤ん坊を受け止めてくれるというところに、まったく委ねきっているわけです。だから、どんなに陣痛が大変でも、どこかで安心しています。 同様に、わたしはこの本づくりの期間、編集者のSさんをまさに産婆さんのように感じてきました。
本の作業が終わった後も出産の後のような、達成感と虚脱感がありますね。 ほんとにお産と良く似ています。 違うのは赤ん坊の場合、これからどっぷりと一人前の人間に育てていかなければならない育児がそれに続くわけですが、本の場合は、産み落とすや、その子はもう一人で旅を始めます。わたしはそれにはついて行かなくても良いし、実際ついてなど行けないのです。 とすれば、これは門出のようなものでもありますね。
産み落とした子どもがあまり優秀な子ではなかったとしても、世界でたったひとりの人間であることには間違いがなく、この世の中には、その子しかできない何かがあるように、本にも、その本にしかないものがあるのでしょう。 送り出された世の中で、きちんとその役割を果たしてほしいなと思います。
日記を読んでくださっているみなさま、どうぞ、この小さな生まれたての本を お手元に置いてくださいませ。 本の購入などについてはHPのトップへ。
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