たりたの日記
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| 2004年05月26日(水) |
昨日、日記に書いたこと |
ここのところ「たりたの日記」はこれといったテーマを定めることなく、 日々の出来事やその気分をつらつらと綴った、文字通りの日記になっていますね。
このところゴザンスの投稿もさぼっているので、書くことに、気合が入っていないなぁと自分でも反省しています。読者のみなさま、スミマセン。
けれども、そういう中で、毎月25日を担当して書いている「心太日記」は、ちょっと、気合入れて書きました。
はじめに出した原稿は一番の核となるところが肉が削がれすぎているので、もうすこし丁寧に向かってみたらどうだろうという指摘を受けました。原稿を見直して気がついたことは、わたしは、肝心なところにくると、わざと聞こえないように早口でしゃべってしまっているということでした。 これは、確かに、はなはだ読み手に対して不親切です。 はじめから分かってもらおう、伝えようとすることを、どこかであきらめている文です。
では、なぜこういう風に書いてしまうのか。 信仰に関しては、どこかでオープンになりきれないところがあります。 信仰はとてもデリケートで、個人的なことがらなので言葉にしずらいです。 それに信仰を持っていない人にとっては「なにこれ?」と思われるのではないかと、そんなオソレも抱くわけです。 かといって業界の人にしか通用しないようなものは書きたくないし、書けないし… そうすると、なんとなく匂わすような書き方で留めてしまっていました。
そこで、昨日は腹を括って(?)、固い扉をこじあけて、なんとか内側にあるものを言葉に表そうとやってみました。 わたしとしては、清水の舞台からジャンプするほどの「おもいっきり」を発揮しましたけれど、それでも、まだ語りきれてはいないことは分かっています。 わたし自身、その奥義へまだ辿りついていないからです。 でも、ここでは、今まで書けないでいたことを書いたかなって思います。
「タリタ・クミ 少女よ、さあ、起きなさい」、 「心太日記」 でお読みください。
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